恋は五・七・五!

荻山直子の長編第二作『恋は五・七・五!』は、文系のスポ根ものという型破りでありながら、エンターテインメントの定石を踏まえた上質の作品になっている。「映画(イマージュ)=運動」「映画(イマージュ)=時間」理論(ドゥルーズ)からいえば、およそ動きのない「俳句」バトルを取り上げた時点で、アイデアの勝利といえるだろう。


高校生スポ根ものでは、『がんばっていきまっしょい』(磯村一路)や『ウオーターボーイズ』『スウィングガールズ』(矢口史靖)の系譜に連なるフィルムである。


俳句とは老人趣味であるという固定観念を打ち破る意味で、実際に愛媛県松山市で8月に開催されている<俳句甲子園>を背景に考えられたドラマ。


帰国子女で漢字が苦手な関めぐみ、でぶ・ブスのためチアリーダ−部を首になった小林きな子関めぐみにあこがれるウクレレ好きの蓮沼茜、元野球部補欠の橋爪遼、写真部の細山田隆人の五人。だれもが俳句の何たるかをまったく知らない。


統廃合される松尾高校が、何かで記念を残したいと校長のもたいまさこの発案によって、気弱な国語の先生杉本哲太が、この5人の生徒を率いて愛媛県松山市へ乗り込む。そういえば『がんばっていきまっしょい』も、愛媛県松山市のボート部の女子高校生たちの話だった。


最初は、俳句どころか、季語さえ知らないというまあ普通の高校生。ライバル校の古池高校の男子生徒は揃いのジャージを着て、「古池や蛙飛びこむ水の音」「荒海や佐渡に横たふ天の河」など芭蕉の俳句を合唱しながら練習をつんでいる俳句形式主義者たち。


当初は、知識や練習の差異により相手にされないが、型より心を打つ俳句ができることで、予想外の結果をもたらす。スイングのようなはじける音楽ではないけれど、キャンディーズの「年下の男の子」「やさしい悪魔」が蓮沼茜ウクレレ伴奏で、さわやかに奏でられる。


何よりも俳句甲子園の形式が面白い。各高校から5名づつ出場し、1名づつまず俳句を披露し、その俳句について対戦校と批評しあい、俳句と批評の総合点で即座に、7名の審査委員により赤白の旗が上げられる。最初に3人勝った方が、次に勝ち進むのだ。一回負けても敗者復活戦があり、それがこの映画では松尾高校復活の契機となる。
松山城への吟行で最後の一句を5人でつくった俳句
「向日葵や 僕らにひとつ ある言葉」
そこから、松尾高校の怒涛の反撃が始まる・・・


ダサイ俳句を、運動=時間の映画として魅力的に撮った荻山直子は、『バーバー吉野』の監督だった。



作品中の俳句に協力しているのは『絶滅・季語辞典』の夏井いつき女史。


「南風 わたしはわたしらしく 跳ぶ」(関めぐみ
「次の世は ましなわたしで 生まれたい」(小林きな子
「夏の風 ウクレレの糸 つまびいて」(蓮沼茜
蒼穹に 夢連れ去りし ホームラン」(橋爪遼)
「印画紙に 写せぬ君の 笑い声」(細山田隆人


青春の心を見事に写した俳句になっているではないか。


蛇足だが、帰国子女役に関めぐみを、彼女を慕うウクレレ少女にアイドルの蓮沼茜を配したことで、この映画の成功の半分は約束されていた。批評家には、『スウィングガールズ』のような高い評価が得られていないが、私はこのフィルムを評価したい。


松尾高校、古池高校がパロディであることは命名から分かるけれど、実は、このフィルムそのものが、俳句ひいては伝統的芸術への批判的パロディになっているのだ。


絶滅寸前季語辞典

絶滅寸前季語辞典


続・絶滅寸前季語辞典

続・絶滅寸前季語辞典


補記(2005年4月5日)
5人一組で、チームが闘う形式は、周防正行シコふんじゃった。』(1991)のパターンを踏襲していることに気がついた。大学相撲部と高校の俳句部の違いはあれ、映画の構成としては良い意味での「模倣と反復」になるだろう。