父、帰る


ロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督第一作『父、帰る』(2003)を、遅ればせながら観る。2003年度ヴェネティア映画祭グランプリ・金獅子賞受賞作。


父、帰る [DVD]

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全編モノクロームに近い色彩。荒涼とした風景。水、火、のイメージや全体のトーンがタルコフスキーを思わせる。少年である兄弟と母、祖母の家庭に、12年ぶりに父が突然、帰ってくる。


冒頭、海に面した飛び込み台で、兄アンドレイと友人たちが、次々と海に飛び込む。ところが弟イワンは、恐怖のために飛び込めない。じっと飛び込み台の上でうずくまるイワンに、母が救いにやってくる。イワンを抱擁する母。


帰還(映画の原題)した父は、ベッドの上に上半身は裸、下半身にシーツがかかった状態で寝ている。このシーンはどこかで観た既視感があった。あとで確認すると、やはりミラノのブレラ美術館で見たアンドレア・マンテーニャの「死せるキリスト」*1の構図にそっくりなのだ。ブレラ美術館は、ミラノのドゥオモ広場から約1km、歩いて10分余りの場所にある。フィレンェのウフッツィ美術館ばかり有名だが、ブレラ美術館は、所蔵コレクションでウフッツィに劣らない。ミラノでは、サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会の壁画、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があまりに著名であるため、ブレア美術館は、観光コースから除外されている。ぜひ、見ておきたい美術館である。ブレラ所蔵のティツィアーノの「最後の晩餐」や、暗く貧しい庶民的キリストを描いたカラヴァッジオの「エマオでの晩餐」などに、深い共感を覚えるからだ。何より、この美術館の静謐な、しかし数多い宗教画の雰囲気に圧倒される。


余談になってしまった、閑話休題


この映画では、「死せるキリスト」と「最後の晩餐」が、父を象徴する重要なシーンになっている。帰ってきた父は、「死せるキリスト」状態でベッドに横たわっている。キャメラは、マンテーニャ絵画の構図どおりに、父を捉える。翌日に親子3人が、旅に出る。父は、兄弟にたいして父権を強烈に発揮し、子供たちに自然のなかでの生き方を教える。無人島に渡った親子は、あたかも、「最後の晩餐」のとおり、子供にぶどう酒を呑ませる。帰宅した最初の晩に、弟イワンにはワインを注がなかったけれど、離島では焚き火のもとで、イワンにもワインを注ぎ、「最後の晩餐」を模倣する。イワンはユダであり、キリスト=父親を間接的に殺すことになる。


父に従順な兄アンドレイと、ことごとく反抗する弟イワン。イワンは、父に反抗し島を展望する高い櫓に登る。父は息子を心配してイワンを追って高い櫓に登るが、一瞬にして落下してしまう。兄弟は死亡した父を、父に教わった方法で海辺まで運ぶ。そして舟に父を乗せる。船に乗った父は、帰宅した父がベッドに横たわったように、舟の真ん中に置かれる。その構図は、もちろんあの「死せるキリスト」を反復している。


水中のシーンから始まったフイルムは、父が水中に沈むシーンで終わる。唐突に帰還した父は、あたかもキリストの行為を模倣し、「最後の晩餐」を反復することで、キリストの晩年をなぞる形式を踏んでいる。


なぜ、唐突に帰還し、突然死ぬのか。一切の説明が映画のなかでなされていない。不在の12年間に父は何をしていたのか。母親は父の帰還を、無感動に迎えていた。


一般的な解釈は、この『父、帰る』は2003年の作品であり、12年前とは、1991年つまりソビエトが崩壊し、ロシアになった年であり、父は旧体制でたとえば収容所のようなところにいた、そして、12年後のロシアに帰るが、子供たちは、ソビエト時代を知らない。ロシアという国で成長した。母は、二つの体制を知る人だが、ほとんど感情をあらわさないし、帰還した父に、子供をつれて旅にでることを勧める。つまり、旧体制から、新体制の若者たちに引き継がれる。それを、キリスト教を援用して即物的に語ったフィルムである、と。


しかし、上記のような解釈をしてみても、この映画の謎は解けない。モノクロに近い銀落としの手法で撮られた『父、帰る』は、全編雨や水におおわれていて、一見、ファーストネームが同じアンドレイ・タルコフスキーの映画へのオマージュともとることができるが、必ずしもそうではないようだ。


舌を噛みそうな名前の監督アンドレイ・ズビャギンツェフの『父、帰る』は、ひたすら、観ることを要請するフィルムであり、画面から観る者が何をどのように受け取るかは、観る者にゆだねられている。正解はない。正解はないということが、この映画に描かれていない「できごと」を隠蔽している。その「できごと」は語る必要がないか、あるいは語る作家の内面などないか、いずれかだろう。しかし、まあ、そんなことはどうでもいい。


私は、『父、帰る』をキりストの「復活と死」の模倣と反復として観た。すくなくとも、フィルムの表層=画面からは、それ以上のことが見えない。それでいいと思う。それにしても、ミニマム映画の極北として、ロシア映画の伝統的な位置を自覚しながら、悠然たるロシアを描いた作品として深く記憶にとどまる映画である。


父、帰る』の公式サイト
http://chichi-kaeru.com/