パティニール画集の出版を期待したい

三つの庵 ソロー、パティニール、芭蕉

 

クリスチャン・ドゥメ著『三つの庵 ソロー、パティニール、芭蕉』(幻戯書房,2020)は、隠遁生活を求めていたものにとって、きわめて刺激が強いタイトルだ。タイトルと出版社をみて購入することはあまりないことだが、今回は衝動買いだった。

序文から著者の意図を引用する。

あらゆる庵/小屋は、現実のものであれ夢見られたものであれ、作家や画家といった世界の作り手たちが自分たちの必要とするささやかなものを彼ら自身の生き方として表現したものである。世の中から離れ、孤立し、身をひそめること。孤独な苦行を伴うそうした身ぶりはすべて、最終的にはこの世の生をいっそう深く味わうためになされるのである。・・・(中略)・・・思考は、おのれの住まいを離れるときにこそ、そこに逢着する好機に恵まれる。(9頁)

 

三つの庵: ソロー、パティニール、芭蕉

三つの庵: ソロー、パティニール、芭蕉

 

 

クリスチャン・ドゥメは記す。

パティニールは空の青さを、彼の小屋を見せてくれた。物ではなく、深く穿たれたヴィションを。万物の隠れ棲むさまを。見ることの純粋さ、それが意味するであろうものをほんの一瞬だけ感じるための唯一の条件を。無を見るのだ、ただ青だけを。(157頁)

 

 「無」を見る、ただ「青」だけを。

 

パティニール*1という中世の画家には今回初めて出会った。じつは、ルーブルやプラドやウィーン美術史美術館で出会っているはずなのだが、そのころは、別の画家を追っていたので、気が付かなかっただけのことだ。


青のパティニール 最初の風景画家


石川美子著『青のパティニール 最初の風景画家』(青土社,2017)に出会うことになった。パティニールに関して、日本で入手し得る唯一の参考文献だ。冒頭に口絵16点が掲載されている。パティニール画集としても有用である。中世画家として、聖書やキリスト教関連の主題を持ちながら、人物は小さく、背景の風景があたかもメインのように描かれている。

 

青のパティニール 最初の風景画家

青のパティニール 最初の風景画家

  • 作者:石川 美子
  • 発売日: 2014/12/23
  • メディア: 単行本
 

 

 

現在確認されているパティニールの絵は、プラド美術館「パティニール展覧会図録」に29点採録されているが、石川氏は11点をパティニール作品と認めている。

 

◆風景も人物もパティニールが描いたとされる6点

1.「聖ヒエロニムスのいる風景」(プラド美術館
2.「ステュクス川を渡るカロン」(プラド美術館
3.「荒野の聖ヒエロニムス」(ルーブル美術館
4.「エジプトへの逃避のある風景」(アントウェルペン王立美術館)
5.「聖ヒエロニムスのいる風景」(カールスルーエ美術館)
6.「聖カテリナの殉教のある風景」(ウィーン美術史美術館)

 

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《聖ヒエロニムスのいる風景》

 

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ステュクス川を渡るカロン

以上、二つの絵画は主題と風景が見事に融合している。パティニールの風景の青が美しく、見る者を引き付ける。

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《荒野の聖ヒエロニムス》

この絵が、クリスチャン・ドゥメの『三つの庵 ソロー、パティニール、芭蕉』の表紙に採用されている。

 

◆風景の完成度は高いが、共同制作者がいると思われる5点

7.「聖クリストフォロスのいる風景」(エル・エスコリアル修道院
8.「聖アントニウスの誘惑のある風景」(プラド美術館
9.「エジプトへの逃避途上の休息のある風景」(プラド美術館
10.「キリストの洗礼のある風景」(ウィーン美術史美術館)
12.「聖ヒエロニムスの悔悛、キリストの洗礼、聖アントニウスの誘惑のある三連画」(メトロポリタン美術館

 

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《エジプトへの逃避途上の休息のある風景》

 聖母子像が眼前に迫ってくるようで、風景を背後に押しやる。聖母子像と、風景画の二つが合成されているように見える。しかし、絵としては、私の好みである。

 

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《キリストの洗礼のある風景》

この絵も、キリストと洗礼者が画面の全面に浮き上がっている。

 

 パティニールについて、私が解説する資格はないが、宗教的人物画よりも背景の「風景」が、きわめて精緻で美しく、口絵をみると、青のグラデーションが名状しがたいほど美しいことに圧倒される。

石川美子は「エピローグ」で記す。

パティニールが描いたのは、ささやかな光景だった。意味のない、あるいは意味のわからない細部である。(294頁)

 

クリスチャン・ドゥメ著『三つの庵』に注目したが、思わぬところで、パティニールという画家を知りえた。「無」と「青」のパティニール、風景画家のパティニールを。

これはコロナ禍のなかでは、大きな収穫であった。

 

 

 

*1:ヨアヒム・パティニール(Joachim Patinir 、1480年頃 - 1524年10月5日)は初期フランドル派の画家。