2046

2046 [DVD]

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ウォン・カーウァイの最新作『2046』(2004)を観た。SF作品という前評判で、少し心配したのだが、『花様年華』(2000)の続編であり、『欲望の翼』(1990)を60年代の第一部とする、これは60年代三部作の完結編であることに、観始めてすぐに気づく仕掛けになっている。


トニー・レオンは、シンガポールを引き上げて香港へ戻ったチャウ・モウワンという名前の新聞記者であり、また売文作家でもある。 『花様年華』のマギー・チャン(ワン・ショットのみ登場)との関係の記憶を背負っていて、次の新しい一歩が踏み出せない、優柔不断な男として継続性を持っている。


ウォン・カーウァイは、いつも「愛の不可能性」や「愛のすれ違い」を反復する監督であることを、『2046』でも示している。トニー・レオンは、マギー・チャンとの愛の記憶を持つ故に、チャン・ツィイーコン・リーとの関係も中途半端なかたちで終わるしかない。
欲望の翼』や『楽園の瑕』(1994)でおなじみのパターンだ。


それにしても、トニー・レオンマギー・チャンチャン・ツィイーの三角関係とは、チャン・イーモウの『HERO』ではないか。関係の絶対性において、『2046』の撮影に5年要したことは、公開こそ前後したが、『HERO』は『2046』を踏襲していたことになるのではないか。チャン・イーモウによるウォン・カーウァイへのトニー・レオンマギー・チャンを起用することについての儀礼という見方はどうだろうか。


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<2046>とは、トニー・レオンがSF小説に書くタイトルであり、カリーナ・ラウ(残念ながらかつての輝きがない!)が殺された部屋であり、その後チャン・ツィイーが住むことになる部屋のルームナンバーが「2046」であることからつけられたタイトル。「2046」は、何も変わらないSF空間として設定されている。そこでは、木村拓哉トニー・レオンのイメージの代役としての日本人青年役になって登場する。ホテルの支配人の娘フェイ・ウォンは、現実には、木村拓哉と恋人関係にあるが、「2046」ではアンドロイドとして、トニー・レオンの想像力の中で自身の分身と関係を持つことになる。


カンヌ版とは編集が異なるようであるが、例によって、時刻が物語のメルクマールとして働き、時間の経過が前後することは、彼の作品では、不自然ではない。観る者が、物語を再構成することで、個々人にとっての作品として完成されることになる。もちろん、そのように多様性・多義的に編集されている。


スローモーションの多用と、横長の画面を敢えて狭く見せる構図などは、ウォン・カーウァイ固有の世界であり、観る者に混乱をもたらせる。したがって、『2046』は決して集大成的な大作ではありうるはずもなく、撮影にいくら時間をかけても、カーウァイ的空間は変わらないといえるだろう。はっきり言って面白いとか、楽しい作品というものではない。


カーウァイ的空間を共有できる者のみが、その世界に共鳴できるような作り方に変わりはない。それでこそ、ウォン・カーウァイアイデンティティが保たれる。拡大ロードショー向きではない。単館ロードショーこそ、ウォン・カーウァイに相応しい。何を勘違いしたのか、配給会社の宣伝が、作品内容を明確に伝えていないことに無自覚であるといっておう。


それにしても、『欲望の翼』『楽園の瑕』『ブエノスアイレス』に主演した大スター、レスリー・チャンの自殺による不在は、『2046』にも、暗い影を投げかけている。60年代香港三部作は、『欲望の翼』のレスリー・チャンを巡る三角関係(マギー・チャンとカリーナ・ラウ)から始まった。そして、ラストシーンは、外出前に髪を整えるトニー・レオンの登場で終わっていたことを想いだすべきだ。


その意味では、『2046』は不在の異性への愛を求めつづける作品といえるだろう。トニー・レオンは、かつての恋人で行方が解らないマギー・チャンを、フェイ・ウォンは日本に帰国した木村拓哉を、チャン・ツィイーは眼前にいるにもかかわらず、心が不在のトニー・レオンへの不毛の愛を抱き続ける。三部作は完結しても、「愛の不可能性」というウォン・カーウァイのテーマは、未完のままである。その彼方には、不在のレスリー・チャンがいることを想起して欲しい。


『2046』公式サイトhttp://www.2046.jp/


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