小島信夫

各務原・名古屋・国立

各務原・名古屋・国立


アテネオリンピックが始まって6日目。普段は、ナショナリストではないが、この時期ばかりは、自然にナショナリストになってしまう。アテネ時間にシフトし、体調もよろしくない。まあ、オリンピックについては、多くのブログで記録されるだろうから、この程度で。


8月16日の日記で、第三の新人結城信一氏に触れたが、戦後派の作家たちの多くが他界された今、安岡章太郎小島信夫庄野潤三阿川弘之三浦朱門氏が現役長老格で活躍されている。


その中で、小島信夫氏は、一昨年度久々に新刊『各務原・名古屋・国立』(講談社)を刊行し、高橋源一郎氏の書評で評判になった。語り口調による自己言及的文体の白眉。けれども、現在入手可能な本は、『各務原・名古屋・国立』のほかに、講談社文芸文庫の三冊『抱擁家族』『殉教/微笑』『うるわしき日々』くらいだ。


殉教・微笑 (講談社文芸文庫)

殉教・微笑 (講談社文芸文庫)

抱擁家族 (講談社文芸文庫)

抱擁家族 (講談社文芸文庫)

うるわしき日々 (講談社文芸文庫)

うるわしき日々 (講談社文芸文庫)


小島信夫氏の作風は、『抱擁家族』以前と、『別れる理由』以後では全く異なる。一般的には、初期作品から『抱擁家族』までが、小島信夫のイメージとして定着しているようだ。しかし、私の視点から云えば、『別れる理由』以後の同時進行的饒舌形式小説の小島氏への評価をもっと高くしなければならないと考える。


その前に、戦後派作家の人々、梅崎春生椎名麟三島尾敏雄氏、おっと武田泰淳氏や、大岡昇平氏についてもだが、彼らの戦後60年を経過した時点での検証・評価が残されている。これらの作家は別の機会に譲るとして、まず、小島信夫氏。


小島信夫氏の現在は、痴呆化が進行しつつある後妻の愛子さんとの生活、それにアルコール中毒の長男問題を抱えている。子供や孫たちとの幸福な日常を描く庄野潤三氏とは、対照的な老後を生きているからだ。


『群像』の連載が完結し、出版が待たれる坪内祐三氏の『『別れる理由』が気になって』がいつになるのか定かではない。坪内祐三氏といえば、筑摩書房から『明治の文学』全25巻を編集した功績が大きいだけに、小島信夫への評価も期待できる。


どうも話が散漫になってしまった。
『うるわしき日々』を取り上げるつもりだったけれど、アテネオリンピックのせいにしておこう。オリンピックが終了し、ナショナリストから解放されてから、落ち着いて書きたい。やれやれ(村上春樹)、だ。


『明治の文学』全25巻もとりあげたいと、意気込みだけは大きいのだが。とりわけ、7巻『広津柳浪』、13巻『饗庭篁村』、15巻『斎藤緑雨』などこれまで、ひとり一冊で刊行されることのなかった作家への目配りは、注目に値する。坪内祐三氏以下の編者がユニークでもあり、いつかはまともに取り上げたい。


明治文学遊学案内

明治文学遊学案内

饗庭篁村 (明治の文学)

饗庭篁村 (明治の文学)

広津柳浪 (明治の文学)

広津柳浪 (明治の文学)

斎藤緑雨 (明治の文学)

斎藤緑雨 (明治の文学)