対談・文学と人生


対談・文学と人生 (講談社文芸文庫)

対談・文学と人生 (講談社文芸文庫)


講談社文芸文庫から、小島信夫・森敦『対談・文学と人生』が刊行された。解説は坪内祐三。もちろん、あの『『別れる理由』が気になって』(講談社,2005.3)の著者が、『別れる理由』連載終了後、小島信夫と森敦が一年間にわたり雑誌『文藝』で連載対談したものが、「文学的にも重要な意味を持っているはずなのに、たしか、単行本化されていない。なぜだろう。」と疑問を呈していたのが、『対談・文学と人生』の遅すぎた出版の契機となった。


「別れる理由」が気になって

「別れる理由」が気になって


ところが、坪内祐三の解説は「いわゆる「解説」を書けない理由」と、洒落のようなタイトルになっている。坪内氏は言う。

「内側に入り込んでしまった」という一節を見逃さないでほしい。これは、「奇妙」というよりは率直にいってもっとヘビーな体験だった。・・・(中略)・・・
『別れる理由』に関しては、時に、その作品の内側に入り込もうとした。つまりその生成過程に共鳴しようとした。(p.406)


小島信夫について書くことは「ヘビーで恐怖なのだ」と書く坪内氏の内面を忖度するに、一筋縄では捉えられない小島信夫という厄介な作家の特異さを知らされる思いがする。


『対談・文学と人生』は、文学の師=森敦と小島信夫が毎月一回対談し、第二回以降は、それに小島氏が「後記」をつけるという趣向でできている。内容は、毎回、二人の過去のこと、主に小島信夫が小説を書きながら、そのときに掲載された作品あるいは原稿の状態で、森敦が読み、あれこれと批評というか、文学談義を続ける。それ自体、一種禅問答のような風体をなし、「追記」にいたっては何やら、はぐらかされているような印象を受ける。しかし、不思議なことに、その文章の味わいがなんともいえず、面白いのだ。


例えば、第2回の「追記」では、森敦を『死の家の記録』のペトロフにたとえているし、第3回では、作家創作の秘密に触れる内容が記される。

私がいわゆる実現されて行くその有様を人々に訴えたくてたまらなくなったからである。私が森さんによって実現される、ということだけでなく、私の原稿が、まだ生の現実に近いものが、実現へと移り進むぐあいのめざましさを訴えたくて仕方がなかったからであった。(p.92)


この言葉に、師・森敦と小島信夫の幸福な関係を看ることができる。第4回までに、数学者ゲーデルのこと、文体(名詞を動詞に還元して書く?)のこと、『吃音学院』『小銃』『R宣伝社』『抱擁家族』『美濃』などについて触れられる。


第4回で森敦が「数学のモデル」に言及している次の言葉は、小説の世界を理解する上で、きわめて意味深い。

小島さんは、あの当時のものがなくなったという意味ではなく、別の世界においてもあてはまるような、言ってみればモデル、をつくろうとしていましたね。・・・数学を成り立たせている幾つかの要請を検証する一つの方法があるんですよ。それは、それによってモデルをつくってみせるということです。これは数学のもっとも重要な根本問題で、論理もそうです。哲学もそうです。一つのモデルをつくれないようであれば世界はなり立ったとはいえない。(p.119)


さて、いましばらくは、本書を読もう。


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