空気頭


田紳有楽・空気頭 (講談社文芸文庫)

田紳有楽・空気頭 (講談社文芸文庫)


藤枝静男『田紳有楽/空気頭』(講談社文芸文庫)。藤枝静男氏の作品には不思議な味わいがある。私小説なのだが、いつの間にか異次元の世界に入っている。


藤枝氏は、若い頃、瀧井孝作氏から原稿用紙を前に置かれ、「これに何か書いてみよ」と云われる。「小説というものは、自分のことをありのままに少しも歪めず書けばそれでよい。嘘なんか必要ない。」とも云われたが、その当時は書くことが何もなく書かなかった。


それで、これから「私小説」を書くと、『空気頭』冒頭で枕をふる。

「私」は妻の発病から入院によって、生涯のテーマを書きはじめる。ところが、確かに事実らしき記述から始まるのだが、いつの間にか、「虚」の世界へ移行している。「私」は丸天井の壁に貼りついて、「自分の精神が今、空白であると同時に残る隈なく充足している」ことを感じる。その時の感覚を次のように分析する。

私は勿論、禅の悟りのもたらす精神の充実感と、脳細胞の衰弱によって物質的に呼び起こされる空虚感とを同じものだなどと思っているわけではありません。しかし、その一瞬だけを現象的に較べるとき、このふたつのものが全く異なるとも信じないのです。つまり私は、とにもかくにも両方とも『人を救済』することはできると思うのです。現に、私はあのとき、虚無と充足とを同時に感じ得たではありませんか。(p250)


ここには、小説が小説を超える内面的体験が記述されている。藤枝氏の求道的なテーマが、具現化されている。恐るべき小説である。


人は小説によって「救済」されることができるか。答えは否ともいえるし、また、読み方によっては、「救済」されることもあり得ることを示唆している。「文学の力」(荒川洋治)といえるのかも知れない。


悲しいだけ・欣求浄土 (講談社文芸文庫)

悲しいだけ・欣求浄土 (講談社文芸文庫)