小島信夫「残光」


『新潮』2006年2月号掲載の、小島信夫「残光」は一言にしていえば「自己言及的小説」といえよう。読み始めると、小島氏が現在(2005年)から過去に遡及し、夥しい作品への言及のみならず、代表作から引用する。

読みすすむうちに、最初は一人称の「私」で妻愛子さんの状況をはじめ現況が語られるが、途中から、「小島信夫は・・・」になり、やがて、過去の作品について語られたり、引用への言及あり、小説から「メタフィクション」あるいは「メタクリティク」とさえ形容できる内容に移行して行く。言及および引用される作品は以下のとおり。


『小銃』(新潮社,1953)
『女流』(講談社,1961)
抱擁家族』(講談社,1965)
『私の作家評伝Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ』(新潮社,1972,1975)
『私の作家遍歴』全3巻(潮出版社,1980,1981)
『美濃』(平凡社,1981)
『女たち』(河出書房新社,1982)
『別れる理由』全3巻(講談社,1982)
『月光』(講談社1984
『菅野満子の手紙』(集英社,1986)
『寓話』(福武書店,1987)
『静温な日々』(講談社,1987)
『暮坂』(講談社,1994)
『うるわしき日々』(読売新聞社,1997)
『こよなく愛した』(講談社,2000)
『小説修行』保坂和志との共著(朝日新聞社,2001)
各務原・名古屋・国立』(講談社,2002)

各務原・名古屋・国立

各務原・名古屋・国立

「残光」は、現在進行形の小説であり、保坂和志との「トーク*1内容が引用され、過去の作品に触れる批評でもある。自作の内輪話のようであるが、決して「私小説」や、自己の作品の解説でもない。不思議な味わい深いテクストになっている。読みながら、読者は混乱させられる(そこが面白い)。

小説修業

小説修業

私自身が、小島作品を古書で収集し始めたのは、高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』(岩波新書,2002)の「ブックガイド」に次のように記されていたことに起因する。上記の作品群はほぼ一年くらいかけて収集したが、未読の作品もある。さて、問題の高橋源一郎の文章を引用する。

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

小島信夫漱石を読むー日本文学の未来」「私の作家遍歴」
ほんとうは、全作品と書きたいところですが、なにしろ、どれもこれも長いので、この二つの評論だけを選びました(これらもまた、たいへん長いのですが)。小島信夫の場合、小説も評論も同じ文章です。おそらく、彼は、同じ文章で、手紙も書き、それからしゃべったりもするのではないでしょうか。
漱石を読む」の中で、小島信夫はこう書いています。
「この世界はスイも甘いもすべてを常識としているところである。多くの小説は、甘い考えを抱いているが、それを許さぬ世間とぶつかって挫折し、世間が悪い、もっと自由を与えろ、筋の通ったことを認め、その筋を通せ、と訴えるようなふうであることが多い」
小島信夫は、小説に、甘い考えを抱かないのです。勉強すべし。(p.140-141)

この文章を読み、また、ほぼ同じ時期に、『群像』に坪内祐三が「『別れる理由』が気になって」の連載を開始したことで、『別れる理由』を読み始めたのが、一気に小島的世界にハマった原因でもあった。

「別れる理由」が気になって

「別れる理由」が気になって

さて、この小説ともエッセイとも批評とも定義しがたい「残光」について書くためには、引用されている箇所の確認や、言及されている作品を確かめる必要がある。そのためこれ以上、書くことは控えるが、小島信夫の作品をまったく読んでいない読者でも、一つのテクストとして先入観なく読むことも可能だ。


あまりにも、情報が詰まり過ぎているので、私としては、ここで一旦止めておきたい。なにしろ、面白すぎるのだ!まず再読すること。


小島信夫は「残光」のなかで、水声社によって『私の作家遍歴』の復刊が予定されていることを記している。『水声通信』2号(水声社,2005.12)*2は「小島信夫を再読する」特集を組んでいた。


抱擁家族 (講談社文芸文庫)

抱擁家族 (講談社文芸文庫)

殉教・微笑 (講談社文芸文庫)

殉教・微笑 (講談社文芸文庫)

うるわしき日々 (講談社文芸文庫)

うるわしき日々 (講談社文芸文庫)

*1:「考える人」14号掲載の小島信夫保坂和志の対談「小説の自由」で、『菅野満子の手紙』と『寓話』がとりあげられている。二人の「トーク」については、拙ブログ2005年10月9日に言及した。

*2:ISBN:4891765674