イエス・キリストの生涯を読む
小川国夫『イエス・キリストの生涯を読む』(河出書房新社、2009.01)読了。昨年4月他界された作家・小川国夫は、オートバイで地中海沿岸を旅した経験をもとに綴られた『アポロンの島』が、島尾敏雄に認められ作家活動に専念した。故郷の藤枝市に住み、中央の文壇から距離を置いていた。
- 作者: 小川国夫
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2009/01/24
- メディア: 単行本
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『アポロンの島』は、簡潔な文体で、これまでの戦後文学にみられない新鮮な感覚で登場した。洗礼を受けた作家として、『試みの岸』や『或る聖書』などで評価を得た。世代的には、「内向の世代」とされているが、文学的にも孤立していたように思えた。同郷の先輩作家に藤枝静男がいた。
- 作者: 小川国夫,森川達也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1998/01/09
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- 作者: 小川国夫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/03/10
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聖書を背景とした作品世界は、文体が簡潔だが、内容的には理解されにくい題材であった。初期作品は読んだけれど、『悲しみの港』で伊藤整文学賞受賞、その後、いくつかの文学賞受賞などがあったが、律儀に付き合うことはしなかった。2008年4月に80歳で他界されたのち、二冊の作品『止島』『虹よ消えるな』が出版された。
- 作者: 小川国夫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/05/30
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没後一年記念出版として、今回、NHK人間大学テキストを再録した『イエス・キリストの生涯を読む』は、小川国夫のキリスト観を伺うことができるのでは、との期待を持って久々に小川国夫著書を購入した。
小川氏は、聖書を読むうちにキリストに興味をいだき、魅力にとりつかれ洗礼を受けるまでになった。本書は、その小川氏が文学者として聖書をよみ解くというかたちをとっている。従って、新約聖書『マタイによる福音書』『マルコによる福音書』『ルカによる福音書』『ヨハネによる福音書』をもとに、イエスの生誕から、磔刑・復活までを丁寧にたどった小伝になっている。
- 作者: 小川国夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1973
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福音書は「福音書記官の独創的な記録ではないか」という疑問に対して、ルカ福音書の序文に依拠して次のように小川氏は述べている。
すべては、「私たち」、イエス・キリストを信じるグループのあいだに成り立ったことだと言うのです。ですからこれは、「私たち」に共有の信頼である。その内容である、という意味になります。新約聖書が信仰告白だということを、はっきり言っているのです。(p.19「誕生」)
「荒野の試み」では、悪魔からの誘惑に対するキリストの姿勢に、以下の引用は小川氏のキリストへの傾斜ぶりが分かる文章になっている。
キリストの中の神性、人生の関係が見えてくると思うのです。人間的に豊かであればあるほどその迷いは大きいのですが、そのことも聖書はけっして見逃さず書いています。キリストですら転落してしまうかもしれないほどの、迷いの淵が見えてくるということもあるということです。(p.45「荒野の試み」)
キリストにリアリズムを見る。
キリストの「無一物で生きろ」というこの考えは、意志して大変な厳しい修行を経てきて、ようやくできあがった、いわば究極的な覚悟だとみるのです。・・・(中略)・・・何も持たない、神様の計らいだけでよろしい、というイエスの決意は、俗世のリアリズムを超えたリアリズムといえると思うのです。(p.76-77「野の百合を見よ」)
小川国夫は、「聖書」を深く読み取っている。
聖書はイエスの置かれたさまざまな状況をつたえておりますが、その状況が、一つとして同じパターンで書かれていないのです。それぞれに特殊な場合として、一回限りのこととして描き出されます。・・・(中略)・・・われわれが聖書に傾倒するのも、表現のよさ、その迫力をとば口にして入っていくわけですから、ゆるがせにできない問題であると、文学者である私は考えるのです。(p.153-154「逮捕・裁判」)
キリストの生涯を描いた聖書は、この死(磔刑による死:筆者註)を直視しているということなのです。キリストは眠るような大往生を遂げたというような、きれいごとの楽天主義な表現はしていないのです。彼の死の苦しみのどん底まで味わったと、はばからず書いています。このことは大変大事なことだ思います。(p.163「十字架」)
キリストの死後、新約聖書が書かれた理由を次のように述べている。
新約聖書全体が、なぜ書かれたかといいますと、その決定的な動機はキリストの復活にあったのです。信仰の告白として、そこからさかのぼって書かれたのです。キリストが十字架上で息を引き取ったときに、弟子たちの信仰は危機にさらされました。しかし、キリストに対する信頼が、彼の復活を見たという確信によって完全に回復される、そういう事情が聖書の成り立ちにはありありと見てとれるのです。(p.182「復活」)
信仰の危機を克服するために、「キリストの復活」が聖書を書かせたというのである。
小川国夫の没後一年記念の出版として『イエス・キリストの生涯を読む』は、聖書を読み解く姿勢から、「聖書は文学を超える衝撃力」をもっているという言葉によって、小川氏の生涯が照射されるという構造を持つだろう。