月光 暮坂


小島信夫『月光 暮坂 小島信夫後期作品集』(講談社文芸文庫,2006.10)読了。


月光・暮坂 小島信夫後期作品集 (講談社文芸文庫)

月光・暮坂 小島信夫後期作品集 (講談社文芸文庫)


『月光』や『暮坂』のタイトルで既に、単行本化されているが、本書は著者自選の後期作品集であり、『別れる理由』以後の、自作への自己言及的作品ばかりが収録されている。果たして、それを「小説」と呼ぶことができるのか。あるいは随筆、エッセイ、評論と言っても違和感がない。


うるわしき日々 (講談社文芸文庫)

うるわしき日々 (講談社文芸文庫)


小島信夫の作品を論じることは、きわめて困難だ。通常の意味での小説ではない。いわばメタ小説とでも形容すればいいのだろうか。主題があってその主題を巡って、話が展開するわけではない。小説の枕にふられた話が、本題と関係ないかと思えば意外なところで、反復されるので、予想がつかない。


抱擁家族 (講談社文芸文庫)

抱擁家族 (講談社文芸文庫)


どのような展開になるのか、予測がつかないから読み手としては、一種スリリングな味わいがある。


残光

残光


先行する自作との関係において真実とも嘘とも見分けがたい記述スタイルで書かれる『返信』は、『女流』を踏まえて、私へのK家の妹さんからの「返信」が読まれたあと、小説家の「私」が手紙の封を切る。これって「返信」とは虚構であったのかと思わせる。が、そうでもないとも読める不思議な小説。


各務原・名古屋・国立

各務原・名古屋・国立


『月光』は、西田天香を描いた『十字街頭』と『釣堀池』をネタに話が意外な方向に進む。『合掌』は、著者の家族を綴った『自慢話』をもとに展開される。というように、小島信夫の小説は、すべてが何らかの形で繋がっている。小島的世界の奇妙さ。読むほどに不可思議な雰囲気のなかに読者はいる。


対談・文学と人生 (講談社文芸文庫)

対談・文学と人生 (講談社文芸文庫)


文学の物差しで測ることにできない小説、そして評論エッセイも文体は同じであり大きな概念でいえば、小島作品はすべてが「小説」でありエツセイでもある。仮に新版『小島信夫全集』を作るとすれば、どのように配列すればいいのだろうか。単純に執筆順であれば、解かりにくい構成となる。関連しあう作品をまとめるような編集が、小島信夫の全体像をより鮮明化するのかもしれない。


殉教・微笑 (講談社文芸文庫)

殉教・微笑 (講談社文芸文庫)


保坂和志が絶賛する『寓話』と『菅野満子の手紙』は未読だが、作品世界は予想できそうだ。今一番、『個人全集』が待たれる作家とは、90歳を超えた小島信夫なのである。でしょう、講談社さん。


小説修業

小説修業

こよなく愛した

こよなく愛した


老境に達した小島氏の近作『うるわしき日々』『こよなく愛した』『各務原・名古屋・国立』『残光』は、自己言及的メタ小説として、また小説の枠を超えるという意味で21世紀に残る作家だ。村上春樹が評価している短編『馬』の構図の複雑さは、この作家の表層の軽やかさとは異次元の深い「謎」が内包されていることを示している。


若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)


小島信夫の小説は、エッシャーの絵画を思わせる。『相対性』の奇妙な世界や『物見の塔』『上昇と下降』『滝』などの不思議な絵は、終わりのない小島信夫の作品を想起させるのだ。


M.C. Escher M.C.エッシャー Icons Series (アイコン・シリーズ)

M.C. Escher M.C.エッシャー Icons Series (アイコン・シリーズ)


■補記(2006年10月27日)

エッシャーの『描く手』こそ、小島信夫その人の「書く手」にほかならない。描いている手(作品)とそれを描く手(作家)の堂々めぐり。完結しているようで、実は無限運動を反復するエッシャーの絵は、まさしく小島信夫の小説を連想させる。私の単なる直感に過ぎないのだが、<無限運動と宙吊り>が時間を超えて永久運動をする小島信夫的世界のような気がする。