高山宏氏の超弩級・新刊書刊行を待ちながら・・・
トランスレーティッド
高山宏『トランスレーティッド』(青土社,2020)を入手した。単行本3冊分の厚さに驚く。高山氏は、翻訳を自ら最も好んだ翻訳と解題を、責務と考える学魔だったことが、この一冊に凝縮されているためよく分かる。
「訳魔じまい口上」としてあとがきを記している。
僕が翻訳家と呼んで並みはずれた自負と誇りを持つのは、文化動向そのものをゆっくり変えていく大きな見通しというか戦略・戦術をもって翻訳事業を進めていく重要きわまる営みだと捉えてきたからです。
・・・(中略)・・・
翻訳人間・・・その誇りかけて孜々営々とやってきた事業報告が即『トランスレーティッド』という絶対に類書のあり得ない一冊という次第です。これも僕の翻訳の特徴と言われた各作品の巻末解題を総結集するという構成上の
工夫をもって編集方針としました。(913頁)
序の「翻厄こんにゃく、或いは命がけ」は、『ユリイカ』「翻訳作法」特集号から転載し、以下の内容も全て既出の文を掲載している。
第一部「愚神礼賛」(200枚)
第二部「錯視美学」(180枚)
第三部「視と幻想」(90枚)
第四部「視と都市」(170枚)
第五部「システム疲労」(180枚)
第六部「新人文学」(70枚)
跋 解題の解題「あと、これだけは翻訳してあげたい」
以上が、本書の構成である。
「跋」の「翻厄困訳」は、『超人 高山宏のつくりかた』(NTT出版,2007)と同じ文だ。
これから翻訳したい百冊を記しているが、この時点から既に、何冊か翻訳出版されている。だからこのリストは、変更増補されるべきだが、そのまま再掲しているのは、「訳魔じまい口上」を読むと理解できる。
2016年刊の『アレハンドリア アリス狩りⅤ』(青土社)時点では、視力の低下をタブレットで拡大してネットを見るなど、まだまだ新著の愉しみを期待させるに十分であった。
しかし、『トランスレーティッド』で<訳魔じまい>の宣言がなされた。
高山氏は、ポーの「使い切った男」を座右において、
と現状報告している。
「超弩級戦艦さながらの企画が続々と形になる」日を心待ちにしながら、
とりあえずは、この年末・年始は貴重な新着図書『トランスレーティッド』を、じっくり味わいながら読みたい。
【補足】
『見て読んで書いて、死ぬ』(青土社,2016)は、梯久美子『狂うひとー「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社,2016)と同時購入し、後者を優先的に読み、ブログへUPしたので、後回しになっていた。たしか松宮秀治『ミュージアムの思想』(白水社,2003)を取り上げていたはずだ。参考文献に高山氏は「著者の抜群の着眼」と評価していた。「ミュージアムの思想」そのものがいわば「文化帝国主義」と同義であることの指摘により、類書を抜くと高い評価を与えていた。
ウリポ集団の鬼才ジョルジュ・ペレック『美術愛好家の陳列室』(水声社,2006)も、<25.全美術史を壺中に封じる、これも「記憶の部屋」だ>で取り上げられていた。
首都大学東京で石原某都知事のもと、苦戦を強いられていた「失われた十年」から解放された時期で、最後の書評本となった経緯が、「前口上」や「あとがき」に記されている。現物が見つからず、探していたが見つかったので、付記しておく。
アリス本二冊は、未購入だが、気にかかる。
二冊の対談本も読了していない。
マッツ・ミケルセンの牧師が異彩を放っていた!
映画ベストテン2019
恒例の映画ベストテン。今年は87本をスクリーンで見た。ベストテン選出基準は『キネマ旬報2019年12月下旬号』に掲載されている映画(2019年1月1日~12月19日公開)から、あくまで自分の眼で見た結果であり、独断と偏見によるもの。
今年は『スターウォーズ』公開42年にあたる。9部作の完結編である『スカイウォーカーの夜明け』も公開された。公開当日12月20日に見たが、結論から言えば、全6部作で完結が正解であったと思う。
キネ旬の対象外ではあるけれど。そういえば『男はつらいよ』も50周年記念として、『お帰り寅さん』が27日に公開される。これも見逃せない。
まあそれはさておき、なんとか80本はクリアできたことに安堵しよう。
【外国映画】
1.ニューヨーク公共図書館(フレデリック・ワイズマン)
2.アダムス・アップル(アナス・トマス・イェンセン)
3.グリーンブック(ピーター・ファレリー)
4.バイス(アダム・マッケイ)
5.ブラック・クランズマン(スパイク・リー)
6.ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(クエンティン・タランティーノ)
7.ピータールー マンチェスターの悲劇(マイク・リー)
8.永遠の門 ゴッホの見た未来(ジュリアン・シュナーベル)
9.ジョーカー(トッド・フィリップス)
10.運び屋(クリント・イーストウッド)
次点:ハウス・ジャック・ビルト(ラース・フォン・トリアー)
:ROMA/ローマ(アルフォンソ・キュアロン)
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フレデリック・ワイズマン『ニューヨーク公共図書館』は文句なしのベスト1。ドキュエンタリーの手法で、図書館の内側と外側を距離を持って描いた傑作である。図書館と来館者を対等に扱い、著名人であろうと一般人であろうと同じ目線だ。この視点の素晴らしさ。
『アダムス・アップル』は、2005年製作のデンマーク映画で、牧師役のマッツ・ミケルセンの演技の素晴らしさが堪能できる。マッツ・ミケルセンは、『永遠の門』でも牧師を演じて、ゴッホが病院に収容されていたとき、彼の悩みに寄り添うように話を聞く姿は、印象に残る。
『グリーンブック』から『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はアメリカ映画。マイク・リー『ピータールー』は、<ピータールーの虐殺>を淡々と主役を敢えて立てない手法でリアリスティックに描いた作品。民主主義を求める民衆と弾圧する王政。なぜか香港で起きている現実を想起させる。
フォアキン・フェニックス演じる『ジョーカー』は、DCコミックの悪役の誕生を悲哀を帯びたピエロとして際立たせる意図と、演技に凝りすぎていることに若干の違和感を持った。
イーストウッドは、このところ実録ものを撮っているが相変わらずうまい。『運び屋』はこの位置になる。
この他では
〇女王陛下のお気に入り
〇立ち上がる女
〇ギルティ
〇マイ・ブックショップ
〇記者たち
〇ザ・バニシング(1988年作品)
〇ドクター・スリープ
〇希望の灯かり
などが気になった。
なお、ゴダール『イメージの本』は、期待したが『映画史』のような撮り方で、160本以上の映画が引用され、絵画・言葉などとともにコラージュされている。しかし、この手法は『映画史』で十分表現されたので、商業映画に戻るべきだろう。
同じ年齢のクリント・イーストウッドとゴダールは、毎年一本映画を撮っている。老いてなおエネルギーが凄い。
【日本映画】
1.新聞記者(藤井道人)
2.宮本から君へ(真利子哲也)
3.旅のおわり世界のはじまり(黒沢清)
4.長いお別れ(中野量太)
5.火口のふたり(荒井晴彦)
6.ひとよ(白石和彌)
7.カツベン(周防正行)
8.決算!忠臣蔵(中村義洋)
9.記憶にございません(三谷幸喜)
10.町田くんの世界(石井裕也)
次点:天気の子(新海誠)
『新聞記者』は安倍政権批判の映画。忖度ばやりの状況の中で、よくぞここまで踏み込んだ。評価に値する。
『宮本から君へ』は、熱量が半端ない迫力で、最近の冷めた映画が多いなかでは、貴重な作品。池松壮亮は主演男優賞、蒼井優は主演女優賞もの。
黒沢清『旅のおわり世界のはじまり』は、ウズベキスタンロケによるロードムービー。前田敦子は好演。彼女は『町田くんの世界』では、醒めた高校生を演じて絶妙。
『火口のふたり』は、荒井晴彦の世界を、柄本佑と瀧内公美が監督の期待に応え熱演してた。
周防正行『カツベン』は、日本独自の活動弁士に光を当て、映画内・無声映画も周防監督自らが撮ったもの。コミカルタッチは、この人の作品歴から当然の力量を示していた。石井裕也『町田くんの世界』は、不思議な世界を監督が不思議な世界へ誘っていて秀逸。
コメディが好きなので、二本入った。『決算!忠臣蔵』は、討ち入り費用に着目、実際膨大な金銭がどう使われたのか興味深い。もちろん、討ち入りシーンは演習のみ。討ち入り後の世評の高さを、義士たちは予測し得ただろうか。面白い。岡村隆史がはまり役で、助演賞ものだった。ちなみに、助演女優賞は松岡茉優だろう。松岡茉優は『ひとよ』の稲村園子役と『蜂蜜と遠雷』の栄伝亜夜役で、受賞してもいい出来だった。
この他では
〇映画めんたいぴりり
〇楽園
〇人間失格
〇コンフィデスマンJP
〇洗骨
〇ダンス・ウイズ・ミー
〇蜂蜜と遠雷
〇翔んで埼玉
などが気になった。
山田洋次監督『男はつらいよ お帰り寅さん』を公開日に見た。如何に渥美清の寅さんを映像に復活させるかに注目されたが、本作の基本は光男(吉岡秀隆)と再会した泉(後藤久美子)の展開に焦点を当てている。光男やさくら(倍賞千恵子)が回想するシーンに、寅さんが甦るのだが、実に見事に映画内に収まっていた。あのメロン・シーンもしっかり引用されていた。この作品は感動ものだ。
「器官なき身体」あるいはシュルレアリスムのこと
シュルレアリスム宣言
- 作者: アンドレブルトン,Andre Breton,巖谷國士
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1992/06/16
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シュルレアリスムを中心に,、20世紀アヴァンギャルドに集中していた。
アンドレ・ブルトンの『ナジャ』は、人文書院の全集で未読だったが、今回岩波文庫でも読了できなかった。
アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言』を、延べ30余年かけてやっと読了した。
シュルレリスム。男性名詞。心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。(46頁「シュルレアリスム宣言」岩波文庫)
スウィフトは悪意においてシュルレリストである。
サドはサディズムにおいてシュルレリストである。
・
・
・
ボードレーリは道徳においてシュルレリストである。
ランボーは人生の実践その他においてシュルレリストである。
マラルメは打ち明け話においてシュルレリストである。
・
・
・
ルーセルは逸話においてシュルレリストである。
等々。(47-48頁「シュルレアリスム宣言」岩波文庫)
言語とは、シュルレアリスム的に用いられるように人間にあたええられているものだ。(59頁「シュルレアリスム宣言」岩波文庫)
以上、引用を試みた。
判然としないが、100年後も、アンドレ・ブルトンの評価は高いようだ。
ヘリオガバルス: あるいは戴冠せるアナーキスト (河出文庫)
- 作者: アントナンアルトー,Antonin Artaud,鈴木創士
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2016/08/08
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アントナン・アルトー『ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト』(河出文庫,2016)読了。
ギボンは、『ローマ帝国衰亡史』において「最悪の皇帝」との評価を下したが、退廃的な、性的倒錯者として、歴代ローマ皇帝のなかでも特筆に値する、というのがヘリオガバルスへの評価だろう。
- 作者: アントナン・アルトー,宇野邦一,鈴木創士
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/07/05
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しかしながら、アントナン・アルトーは、『ヘリオガバルス』をギリシア悲劇的な残酷劇として謳いあげた。実に、畏怖すべき作品につくりあげている。
後に『神の裁きと訣別するため』(河出文庫,2006)において、
人間は病んでいる、人間は誤って作られているからだ。
・・・(中略)・・・
人間に器官なき身体を作ってやるなら人間をあらゆる自動性から解放して真の自由にもどしてやることになるだろう。(44-45頁「神の裁きと訣別するため」)
アルトーにおける「器官なき身体」とは、ヘリオガバルスを想起しながら、真に自由なる人間への変容を期待したのではないだろうか。
アルトーは、確かに「器官なき身体」という言葉を使用した。この「器官なき身体」という言葉は、後に、ドゥルーズ=ガタリが『アンチ・オイディプス』で、基本的な概念として使用していることは周知のとおりである。
- 作者: ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ,宇野邦一
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/10/05
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- 作者: ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ,宇野邦一
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/10/05
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けれども、「器官なき身体」や「戦争機械」など、未だに理解することが困難な用
語であることに変わりない。
シュルレアリスムに関連して、レイモン・クノーの『文体練習』の朝日出版社版を持っていたはずだと思い、書棚何カ所を探してみたが、見つからない。やむを得ず、水声社版の『レイモン・クノーコレクション』7巻の『文体練習』を古書店にて求める。
冒頭に「1.覚え書」が置かれ、その内容について、99の文体で表現される。この実験的試みは、ウンベルト・エコーやイタロ・カルビーノに影響を与えた。
レイモン・クノーといえば、映画化された『地下鉄のザジ』で知られるが、反シュルレアリスムのグループ「ウリポ」に所属していた。しかしながら、『文体練習』は「ウリポ」結成以前に出版されており、むしろ、前衛文学者というべきだろう。
シュルレアリスムは「超現実主義」と翻訳される、一種の前衛運動であり、カウンターカルチャーだろう。前衛運動とすれば、続く、ヌーヴォーロマンの位置づけはどうなるのだろうかなどと考える。
気がかりなシュルレアリスムは、読むことの愉悦が少なく、19世紀文学がはるかに楽しく読めるというアイロニー、そんな心境にある。
シュルレアリスムを理解するための今回読んだ参考文献は以下に列挙しておく。
〇巌谷國士『シュルレアリスムとは何か』(ちくま学芸文庫,2003)
〇塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』(ちくま学芸文庫,2003)
〇塚原史『切断する美学―アヴァンギャルド芸術思想史 』(論創社,2013)
〇塚原史『ダダイズム――世界をつなぐ芸術運動』(岩波現代全書,2018)
〇塚原史、後藤美和子訳『ダダ・シュルレアリスム新訳詩集』(思潮社,2017)
モーパッサンは面白い
わたしたちの心
- 作者: ギュスターヴフローベール,Gustave Flaubert,菅谷憲興
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2019/08/23
- メディア: 単行本
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『わたしたちの心』は、モーパッサンの遺作でありながら、遺作とは思えな内容。
19世紀の男と女の心理的かけひきが、如何ともしがたい状態に陥り、そこから抜け出せない奇妙な関係、それは自立した女性に翻弄される男性というきわめて現代的な問題として、きわめて斬新な作品として甦ったといっても過言ではない。
『わたしたちの心』がモーパッサンの最後の長編とは思えないほど、若やいだ官能と苦痛を描いている。趣味人マリオは、社交界に君臨するビュルヌ夫人に魅せられ、人生を翻弄されることになる。
第二部の終末に至り、やっとビュルヌ夫人への別れの手紙を書き、パリを離れ、フォンテーヌブローに居を構え、若きエリザベトと出会う。やすらぎを得たかと思いきや、田舎まで蠱惑的なビュルヌ夫人がやってくる。そしてまたも、夫人に惑わされ、パリへ行くことになりそうだ。
読む者にとって、死を前にしたモーパッサンが、このような濃密な恋愛遊戯劇を書いたとは、どうしても考えられない。とりわけ、師の『ボヴァリー夫人』に影響を受けたであろうと思わせる『女の一生』を書きながらも、遺作は、『わたしたちの心』であったことが、逆にモーパッサンらしいのかも知れない。
脂肪の塊/ロンドリ姉妹?モーパッサン傑作選? (光文社古典新訳文庫)
- 作者: モーパッサン
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2017/01/27
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光文社古典新訳文庫の二冊『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』『宝石/遺産』、岩波文庫『モーパッサン短編選』を読了する。
短編「首飾り」と「宝石」は、よく似た妻の宝石に関するお話。モーパッサンの短編には「落ち」があり、読者としては、読む楽しみがある。
- 作者: ギュスターヴ・フローベール,山田ジャク
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2009/07/03
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師のフロ-ベール『ボヴァリー夫人』は、はらはらしながらも読了できたが、遺作となった『ブヴァールとペキュシェ』は、読書が進捗しないのだ。著者の意図するところは解かるのだが、物語としては愚鈍な試みの連続にうんざりしてしまう。いまだ読書中だが、途中から、モーパッサンに横滑りしてから、次々と文庫本を読了してしまうほど面白い。かつ現代においても、同じような人間の生活がある。
新潮文庫の『モーパッサン短編集』全三冊を読む楽しみが残されている。奇しくも、いま、<読書週間>が始まっている。
太宰よりも安吾を好む
蜷川実花監督『人間失格ー太宰治と3人の女』(2019)を見た。
映画の設定は、昭和21年から始まり23年で終わる。戦後の混乱期だが、映像は時代感覚を混乱させるほど美しく、花が絢爛豪華に咲き、画面を浮遊する。戦後の時代の雰囲気や衣装などは、汚れてきたないはずだが、蜷川監督は全く気にせず、全てを美しく撮っている。
太宰治(小栗旬)は、戦後文壇の中で傑作を書くべく模索したいた。そこに沢尻エリカ(太田静子)から誘いの手紙が届く。太宰の自宅では、妻・美智子(宮沢りえ)が二人の子どもを育てながら夫を支え、3人目の子どもを妊娠している様子。
沢尻エリカとの出会いは後に、『斜陽』として作品化され、ベストセラー作家となる。
蜷川実花氏は、実話をもとにしたフィクションとことわっている。
『ヴィヨンの妻』にまつわる評判や、志賀直哉への批判『如是我聞』を編集者(成田凌)に、口述筆記させる。
更に、後に心中する相手、山﨑富栄(二階堂ふみ)の援助を受けて、『人間失格』を完成させるなど、基本的に事実ベースを押さえている。
太宰治の戦後を、これほど鮮やかに美しく切り取ったのは、蜷川実花氏の卓抜した表現力だったと思う。
三人の女性、宮沢りえ、沢尻エリカ、二階堂ふみは、それぞれ個性が発揮されており、とりわけ、夫人役の宮沢りえは、太宰死後マスコミが殺到しても、平気で洗濯を始める光景は、女性の強さを体現し圧倒される。沢尻エリカも、太宰を利用して自ら作家的に『斜陽日記』を刊行してみせるところなど、誇らしげである。二階堂ふみは、自らの自殺願望に太宰を誘い込み、意地をみせる。それぞれ好演といえるだろう。
随分長い間、太宰治を回避してきた。持っているのは、ちくま書房版の文庫全集10冊。戦後に関わる作品だけでも再読してみたいと思わせる。
太宰治に関する論文や関係本は多数ある。奥野健男『太宰治』を既読しているが、書架を探してもみつからない。長部日出雄『桜桃とキリスト』(文藝春秋,2002)が書家で見つかった。太宰が、美知子夫人との出会いから始める、興味深い評伝だった。
太宰よ! 45人の追悼文集: さよならの言葉にかえて (河出文庫)
- 作者: 青山光二,浅見淵,阿部合成,石川桂郎,石川淳,井伏鱒二,伊馬春部,臼井吉見,内田百?,江藤淳,大西巨人,尾崎一雄,小沼丹,折口信夫,亀井勝一郎,河盛好蔵,桑原武夫,小山清,小山祐士,今官一,坂口安吾,佐藤春夫,沙和宋一,柴田錬三郎,武田泰淳,田中英光,檀一雄,津島美知子,土井虎賀寿,戸石泰一,外村繁,豊島与志雄,中野重治,中村貞次郎,丹羽文雄,野口冨士男,野平健一,花田清輝,埴谷雄高,林芙美子,平林たい子,三島由紀夫,宮崎譲,山岸外史,吉行淳之介,河出書房新社編集部
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2018/06/05
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最近では、『太宰よ!45人の追悼文集』(河出文庫,2018)が刊行されている。
如何に多くの作家や、評論家が太宰に想いを寄せていたかが解かる読み物だ。
映画では、安吾役の藤原竜也が線が細いのは、やむを得ないだろう。
坂口安吾は、太宰の情死について下記のように記している。
どんな仕事をしたか、芸道の人間は、それだけである。吹きすさぶ胸の嵐に、花は狂い、死に方は偽られ、死に方に仮面をかぶり、珍妙、体をなさなくとも、その生前の作品だけは偽ることはできなかった筈である。
むしろ、体をなさないだけ、彼の苦悩も狂おしく、胸の嵐もひどかったと見てやる方が正しいだろう。
この女に惚れました。惚れるだけの立派な唯一の女性です。天国で添いとげます、そんな風に首尾一貫、恋愛によって死ぬ方が、私には、珍だ。惚れているなら、現世で、生きぬくがよい。
太宰の自殺は、自殺というより、芸道人の身もだえの一様相であり、ジコーサマ入門と同じような体をなさゞるアガキであったと思えばマチガイなかろう。(「太宰治情死考」)
安吾の太宰情死解釈は、納得できるものだ。
太宰は文庫版全集だが、安吾は、筑摩書房版『坂口安吾全集』を持っている。
太宰よりも安吾を好むと言いたい。生きることは「堕落」することであり、安吾は47歳で死去するも、最後まで求道精神で生き抜いた。
ラース・フォン・トリアーは畏怖すべき芸術家である
ハウス・ジャック・ビルト
ラース・フォン・トリアーの最新作『ハウス・ジャック・ビルト』(2018)を見る。
見る者を不快にさせる映画だが、主人公は監督の分身であり、距離を置いて見ることで、芸術作品としてなぜこのようなサイコキラーの男を主人公にして、残酷な映画を撮ったのか。
あらかじめ結論的に述べると、哲学的な読解を求める映画になっているからである。
殺人鬼ジャック(マット・ディロン)は、遺体でもって建築物を造り上げる12年間を、五章仕立てで見せている。
第一の出来事は、ユマ・サーマンが車の故障でジャックに同乗する。犠牲者その一。
第二の出来事は、シオバン・ファロンが未亡人役。ジャックは保険外交員を装い、未亡人は第二の犠牲者となる。
第三の出来事は、二人子ども連れの女性とピクニックに行く。ジャックは、赤い帽子をかぶり、猟銃を使用する。子ども二人と女性は第三の犠牲者となる。
第四の出来事は、若い女性(ライリー・キーオ)の胸にジャックが線を引き、彼女はやがて第四の犠牲者となる。
第五の出来事は、ジャックが五人の男性を誘拐し、一発の弾丸で一気に殺そうとする。そこへ登場するのが、謎の男・ブルーノ・ガンツである。
作品の中に引用されるグレン・グールドによるピアノ演奏、ドラクロアの絵画「ダンテの小舟」を出演者が演じるような活人画仕立て、更には、ゴーギャンのタヒチを描いた絵画「我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか 」が提示される。これらの引用は、この映画の内容にかかわる。
グレン・グールドのピアノ演奏風景の挿入は、フォン・トリアーの嗜好なのか、あるいはジャックの好みなのかいずれかであろう。頻繁に挿入されることは、この映画が、グールドの演奏スタイルに関係している*1ことを示している。
「ダンテの小船」の活人画は、ゴダール『パッション』を想起させるが、ダンテ『神曲』の地獄編につながっているようである。
ゴーギャンの絵画のショットは、一瞬に夢見る桃源郷だろうか。ジャックは、農夫たちが大きな鎌で草を刈るシーンを、何度か、画面を通して彼の内面を写しているように見える。
エピローグでは、ブルーノ・ガンツがジャックをダンテ『新曲』で描かれる、地獄へ導く。ジャックの心の内に踏み込むことなく、客観的に描かれているので、距離を置いて見れば、いかにもラース・フォン・トリアーの刻印が写されている作品であることに衝撃を受ける。見るものを不快にさせる映画監督は少ない。その点でもフォン・トリアーは、作品公開ごとに問題作とされる。主人公へ感情移入をしなければ、ラストは見る者が救われるように作られている。
『奇跡の海』(1996)が出会いであったが、その後『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)『ドッグヴィル』(2003)『アンチクライスト』(2009)『メランコリア』(2011)『ニンフォマニアック 』(2013)と見てきた。
個人的には、『ドッグヴィル』のおよそ映画として成立しえない舞台劇風な仕掛け(舞台上に線を引くだけ)の中で、ニコール・キッドマンが最高の演技をみせたことに評価を与えたい。
ラース・フォン・トリアーの作品
*1:グレン・グールドの演奏は、頑固な自己スタイルを貫き通したという点では、監督ラース・フォン・トリアーに似ている。むしろ、フォン・トリアーが、グールドの芸術的な生き方に共鳴しているというべきだろう。
『こころ』異聞は、女性の強さに着目している
『こころ』異聞
若松英輔著『『こころ』異聞』(岩波書店,2019)を、7月1日購入後、一気に継続して読んだ。最近、読書に集中できない状況の中で、5日間で読了するとは、以前に比べると稀有な体験と言わねばなるまい。それだけ、惹きつける魅惑に満ちた、『こころ』新解釈と形容できる充実した内容だった。
漱石『こころ』については、膨大な研究歴史があり、それをまとめたものに、仲秀和著『『こころ』研究史』(和泉書院,2007)がある。仲氏は第一部で、「問題の所在と同時代批評、昭和20~30年代批評、昭和40年代の研究、昭和50年代以降の研究、昭和60年代以降の研究。ここまでが、菊版全集による。それに漱石自筆研究を基に新編集した平成版全集を対象とする平成6年以降の研究。以上を8章に分けて紹介している。とりわわけ40年代の「作品論」、60年代の「テキスト論」を中心に、問題の所在を説明し、「『こころ』についてはある程度論じ尽くされてきている」と述べている。
「文学研究の方法」の見直しがあり、「文化論」「文化史」的な、『こころ』の読み直しは「現在進行中」であると、記している。しかし、おおむね提起された問題の所在は、解き尽くされてもいるようだ。
第2部は、「『こころ』文献目録」であり、これも書誌的に貴重な資料である。
現在第2次『漱石全集』が定本*1として配本中であるが、平成版漱石全集と称する、この全集を、若松氏はテキストに採用することの理由を記している。同時代からの読者が読んできたテクストとは異なる『こころ』ではある。ここは、著者の主張に従い、本文を読んでみることにした。
若松氏の新説とは、『こころ』の書き手である「私」は、何歳なのだろうかという疑問から出発している。
「先生」が自殺した年は、1912年、35歳。「お嬢さん」こと「先生」の妻・静は28~29歳くらい。「私」は「先生」より十余歳下であると、著者は、全集の編集者であった秋山豊と、『こころ』註解者の重松泰雄の二人に依拠している。
筆者には『こころ』に記された文字そのものが「私」の遺書だったように思われてならない。読者である私たちは、二つの遺書を読んでいたのではないか。その行間からは、「先生」の年齢を超えた「私」の姿が、行間からくっきりと浮かび上がるのである。(p.232)
この結論に至るまでに、キリスト教の苦行=求道を、キーワードに読み解く。井筒俊彦、内村鑑三、河合隼雄など*2を引用しながら、Kの求道者的生き方と、「先生」のKへの共感する部分があり、Kを自殺させた原罪を背負い、自ら「遺書」を「私」に託すことになる。
本書の読みどころは、「庇護者の誤認」にある。
妻はあるとき、「先生」に「男の心と女の心は何(ど)うしてもぴたりと一つになれないものだろうか」という。/「先生」は、「若い時ならなれるだろうと曖昧な返事を」する。それを聞いた妻は「自分の過去を振り返つて眺めてゐるやう」だったが、やがて微かな溜息を洩ら」(百八)す。/男の目から見て頼りなさそうに映る女性も、男が思うほど弱くない。むしろ、男の方が、芯に脆さを抱えている場合が少なくない。/心を一つにしたい、そう語った妻は、自分たちの関係は、助ける助けられる関係ではなく、人生の試練を前にするときも、ふたりで生きていくと決めたのではなかったか、と夫に問い返しているのである。(p.225)
若松氏の新説は、『こころ』という小説がもつ構造的な内容から、女性の視点とキリスト教的に捉える方法であった。
静の「男の心と女の心は何(ど)うしてもぴたりと一つになれないものだろうか」という問いから女性の視点に立つ方法は、管見の限り若松氏の発見と言ってもいい。
たしかに、新鮮な解読方法といえよう。しかしながら、『こころ』の不可思議な作品の全貌を解明するための一視点を提供したと言えるが、<諸問題の解読>を一挙に伏線を回収したことにはならないところが、『こころ』が厄介テクストである所以でもあるのだ。
まあしかし、ここは、若松英輔氏の新解釈が、『こころ』研究史に一点加わった功績を、指摘すれば十分だろう。
なお、『こころ』研究本としては、石原千秋編集の下記のムックがある。
また、漱石作品の読み方についての基本は、次の図書が示唆的である。