ラース・フォン・トリアーは畏怖すべき芸術家である

ハウス・ジャック・ビルト


ラース・フォン・トリアーの最新作『ハウス・ジャック・ビルト』(2018)を見る。
見る者を不快にさせる映画だが、主人公は監督の分身であり、距離を置いて見ることで、芸術作品としてなぜこのようなサイコキラーの男を主人公にして、残酷な映画を撮ったのか。

あらかじめ結論的に述べると、哲学的な読解を求める映画になっているからである。

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殺人鬼ジャック(マット・ディロン)は、遺体でもって建築物を造り上げる12年間を、五章仕立てで見せている。

 

第一の出来事は、ユマ・サーマンが車の故障でジャックに同乗する。犠牲者その一。


第二の出来事は、シオバン・ファロンが未亡人役。ジャックは保険外交員を装い、未亡人は第二の犠牲者となる。


第三の出来事は、二人子ども連れの女性とピクニックに行く。ジャックは、赤い帽子をかぶり、猟銃を使用する。子ども二人と女性は第三の犠牲者となる。

 

第四の出来事は、若い女性(ライリー・キーオ)の胸にジャックが線を引き、彼女はやがて第四の犠牲者となる。

 

第五の出来事は、ジャックが五人の男性を誘拐し、一発の弾丸で一気に殺そうとする。そこへ登場するのが、謎の男・ブルーノ・ガンツである。

 

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作品の中に引用されるグレン・グールドによるピアノ演奏、ドラクロアの絵画「ダンテの小舟」を出演者が演じるような活人画仕立て、更には、ゴーギャンタヒチを描いた絵画「我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか 」が提示される。これらの引用は、この映画の内容にかかわる。

 

グレン・グールドのピアノ演奏風景の挿入は、フォン・トリアーの嗜好なのか、あるいはジャックの好みなのかいずれかであろう。頻繁に挿入されることは、この映画が、グールドの演奏スタイルに関係している*1ことを示している。

 

「ダンテの小船」の活人画は、ゴダール『パッション』を想起させるが、ダンテ『神曲』の地獄編につながっているようである。

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ゴーギャンの絵画のショットは、一瞬に夢見る桃源郷だろうか。ジャックは、農夫たちが大きな鎌で草を刈るシーンを、何度か、画面を通して彼の内面を写しているように見える。

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エピローグでは、ブルーノ・ガンツがジャックをダンテ『新曲』で描かれる、地獄へ導く。ジャックの心の内に踏み込むことなく、客観的に描かれているので、距離を置いて見れば、いかにもラース・フォン・トリアーの刻印が写されている作品であることに衝撃を受ける。見るものを不快にさせる映画監督は少ない。その点でもフォン・トリアーは、作品公開ごとに問題作とされる。主人公へ感情移入をしなければ、ラストは見る者が救われるように作られている。

 

奇跡の海』(1996)が出会いであったが、その後『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)『ドッグヴィル』(2003)『アンチクライスト』(2009)『メランコリア』(2011)『ニンフォマニアック 』(2013)と見てきた。

 

個人的には、『ドッグヴィル』のおよそ映画として成立しえない舞台劇風な仕掛け(舞台上に線を引くだけ)の中で、ニコール・キッドマンが最高の演技をみせたことに評価を与えたい。

 

ラース・フォン・トリアーの作品

 

 

ダンサー・イン・ザ・ダーク(Blu-ray Disc)

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メランコリア [Blu-ray]

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*1:グレン・グールドの演奏は、頑固な自己スタイルを貫き通したという点では、監督ラース・フォン・トリアーに似ている。むしろ、フォン・トリアーが、グールドの芸術的な生き方に共鳴しているというべきだろう。