世界の全ての記憶



老婦人を演じたエマニュエル・リヴァから、アレン・レネが戦後の広島を舞台に撮った映画を思い出す。アラン・レネは、まず、アウシュビッツ収容所跡をドキュメンタリー風に撮った『夜と霧』(1955)、次いで、フランス国立図書館を内部から見事に撮った『世界の全ての記憶』(1956)。その後、HIROSHMAを原爆投下後14年の戦禍のあとが生々しい『二十四時間の情事』(1959)、過去と現在が交錯する名作『去年マリエンバートで』(1961)、スペイン内戦のその後を撮った『戦争は終わった』(1965)などを撮り、1990年代にコメディ『恋するシャンソン』(1997)2000年代に『巴里の恋愛協奏曲』(2003)で、現役ぶりを窺わせいるが、ヌーヴェル・ヴァーグの先駆者で、ジャック・リヴェットジャン=リュック・ゴダールとともに、生き残っている。

夜と霧 [DVD]

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去年マリエンバートで  HDニューマスター版 [DVD]

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二十四時間の情事 [DVD]

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フランソワ・トリュフォーが早死して以来、2010年エリック・ロメールの死、同じ年にクロード・シャブロールの他界によって、現在もほぼ毎年作品を制作しているゴダールを除けば、アラン・レネは、一味違う魅力がある。

アウシュビッツ、広島、スペイン内戦後など、20世紀の戦争を痕跡を捉える作家であると言えるだろう。しかし、私にとっては、フランス国立図書館(BN)を美しいモノクロ画面で、図書館の存在意義や業務内容から、読者が求める叡知、読書の歓びへの賛歌として、短編ながら忘れがたい重要なフィルムである。

その『世界の全ての記憶」から採録してみよう。

(以下採録
図書館の外観、書庫、知識(記憶)の宝庫としてのBN。目録=冊子体目録の表紙。カード目録(索引カード)⇒現在は「OPAC」になるが、基本的な原理は同じである。

定期刊行物、すべての雑誌・新聞・会報・年報・年鑑、「不揃いでは価値がない」→欠号がないようにチェックする。「一度しか閲覧されないものも保存しなければならない」「ランボーの処女作は、無名の地方紙から発見された」。


蔵書源は4つある、寄贈・購入・交換、主要なものは「法定納本」(⇒納本制度)による。16世紀から書物は納本されている。納本された本は、検印後、記録簿(⇒原簿)に記載される。

書物の記録(書誌記述)、分類→「印刷カード」20枚がカードボックスへ排列される。「この索引カードは国立図書館の頭脳だ」⇒(図書データベースは図書館の頭脳である)。目録が記述され分類された図書は、所定の場所(書庫)へ排架される。迷路のような書庫をとおりエレベーターを使用し、分類された記号の場所へ排架される。100本のフィルムでも全貌を撮ることはできない。どれが最も貴重か誰も分からない。

ゴンクールの未刊の日記か、解読できない?板書籍か、H.ディクスンの回想録か、1970年まで封印の個人の手帳か、手書きの“パンセ”か、エミール・ゾラの全著作か、あるいは、ユゴーの肉筆原稿か、アンリ2世の装丁本か、パリで最初に印刷された本か、カール大帝福音書か」

これらの財産を守るために、空気は調整され環境は整えられる。⇒(温室度管理)。本が修され、新聞のマイクロフィルム化など保存のきかない資料も媒体変換される。利用者の請求メーセージに基づき、書庫担当者は該当本を抜き、台本を置く。請求された本は、書庫からカウンターへ。求める本であるかが確認され、閲覧室の利用者のもとへ届く。

「本は理想に向かって進んで行く」「本はこの瞬間に、抽象的で超然とした世界の記憶の一部になる。どの本もわけ隔てなく享受できる。」「本は読者に滋養を与えるため運ばれてきた。読者は目的があって本を読みふける。この小宇宙が謎を解く鍵になるだろう。」(閲覧室を俯瞰撮影している。多数の閲覧者)。

「嬉しい予感にはわけがある。読者は世界の記憶の断片に触れ、秘密のかけらを集める。その秘密とは“幸福”にほかならない。」

『世界の全ての記憶』は、希有な映画作家アラン・レネが、フランス国立図書館(BN)を内部にキャメラを持ち込み撮った、優れて刺激的な今こそ評価されるべき図書館ドキュメンタリー映画である。


アラン・レネの他の作品

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