ミュージアムの思想


松宮秀治『ミュージアムの思想』(白水社、2009)が新装版として3月に発売された。もちろん、柄谷行人が絶賛した『芸術崇拝の思想』(白水社、2008)の好評に応えて、5年前に出版された本に新たな「あとがき」を付して再版されたものである。


新装版 ミュージアムの思想

新装版 ミュージアムの思想


松宮氏は、近代ヨーロッパが宗教の代替として「芸術崇拝」を見出し、神殿を「ミュージアム」と規定したところに新鮮な視点がある。松宮氏によるミュージアムの定義は次の引用に集約される。

ミュージアムとは西欧のみが創造しえた、またその本質から見ても徹頭徹尾西欧的なものである。ミュージアムとはその機能から見れば、西欧の近代が新たに発見した価値観念、つまり「芸術」「文化」「歴史」「科学」といった観念によって、新しい「聖性」を創出し、その聖性のもとで新しい「タブー領域」を確定していくものであり、そしてそのもっとも基本的な特徴は、この聖性とタブー領域を絶えず拡大し、巨大化させていくことである。この機能を作動させていくのがコレクションの制度化である。コレクションの制度化とは、コレクションのに社会的な公認の価値を認め、政治的な目的にしていくことであり、西欧以外の文化圏ではコレクションの制度化をなしえたところは存在しない。(p.14)


その蒐集の中心に図書があったとの指摘は、きわめて興味深い。人文主義者たちの古代文献蒐集がヴァチカンの図書蒐集と結びつき、さらに公共図書館の設立と結びつくのだが、それは「図書の蒐集は単なる私的領域を超えてた広いネットワークの中でなされ」、更に「図書の蒐集が美術保護とは比較にならないような重要な社会的意味を持っていた」と著者は言う。


通常私たちの認識では、「ミュージアム」とは、美術館および博物館をイメージするが、松宮氏は西欧の「ミュージアム」の概念を上記の引用にあるよう「芸術」「文化」「歴史」「科学」を綜合し視覚化のために制度化したことを実証して行く。

日本など非西欧圏が、ミュージアムを導入する場合はどうすべきか。松宮氏の答えは以下のとおりである。

もし西欧近代のミュージアム制度を非西欧圏が導入しようと図るなら、それが国家事業であること、しかも国家の「大事業」であることを学ばなければならないだろう。そうでないなら、ミュージアムの思想そのものを正面から否定し、それを可能にする論理の構築に向かうべきであろう。(p.268)


ところで、日本は西欧的なミュージアム制度を導入してきたのだろうか?


「新装版へのあとがき」において、松宮氏が記す以下の要約が、本書の主張する意図と内容を示している。

この書では、ミュージアムが西欧の「帝国」理念の産物であること、いいかえると、西欧の絶対主義王政の政治理念が、キリスト教の普遍主義に対抗するため、自然物(創造者)と人工物(人造物)のコレクションを通じ、世界を一元的な価値で掌握していこうとする過程での産物であったこと・・・・・(p.278)


芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神

芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神


そして、なぜ「美術(芸術)作品」を収納する美術館が他のミュージアムよりも優遇措置を受けたのかは、『芸術崇拝の思想』に記述されているので、両書を併読することで、松宮氏の目指す方向が理解できるという仕組みになっている。


■松宮氏が「参考文献」としてあげている図書の一部

蒐集 (Kenkyusha‐Reaktion Books)

蒐集 (Kenkyusha‐Reaktion Books)

綺想の帝国―ルドルフ二世をめぐる美術と科学

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啓蒙の弁証法―哲学的断想 (岩波文庫)

啓蒙の弁証法―哲学的断想 (岩波文庫)