無趣味のすすめ


村上龍『無趣味のすすめ』(幻冬舎、2009)、購入した日に読了できる分量。総論反対、各論賛成という刺激的な本だ。


無趣味のすすめ

無趣味のすすめ


「無趣味のすすめ」と題された冒頭の序文に相当する内容は以下のとおり。


まわりを見ると、趣味が花盛りだ。手芸、山歩き、ガーデニング、パソコン、料理、スポーツ、ペットの飼育や訓練など、ありとあらゆる趣味の情報が愛好者向けに、また初心者向けに紹介される。趣味が悪いわけではない。だが基本的に趣味は老人のものだ。好きで好きでたまらない何かに没頭する子どもや若者は、いずれ自然にプロを目指すだろう。/老人はいい意味でも悪い意味でも既得権益を持っている。獲得してきた知識や技術、それに資産や人的ネットワークなどで、彼らは自然にそれらを守ろうとする。だから自分の世界を意図的に、また無謀に拡大して不慣れな環境や他者と遭遇することを避ける傾向がある。/わたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画制作も、キューバ音楽のプロデュースも、メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。息抜きとしては、犬と散歩したり、スポーツジムで泳いだり、海外のリゾートのプールサイドで読書したりスパで疲れを取ったりするが、とても趣味とは言えない。/現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極て安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。/つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。(p.6-10「無趣味のすすめ」)


著者にとっての「仕事」は、通常「趣味の範疇」といえなくもない。著者が「趣味」という「手芸、山歩き、ガーデニング、パソコン、料理、スポーツ、ペットの飼育や訓練など」は、「趣味」というより「道楽」という言葉のニュアンスに近い。 

印象に残った箇所を以下に引用する。

一九七〇年代のどこかで近代化が終わり、九〇年代には日本の資本主義システムが雇用を中心として画期的に変化した。官庁および企業が急速にインセンティヴと求心力を失っていく中で、個的な目標を見出すことができた個人が、組織・集団の枠を出て、クールに科学的努力を継続させて成功者となるという構図が露わになった。(p.57「情熱という罠」)

問題は品格や美学などではなく、Money以外の価値を社会および個人が具体的に発見できるとかどうかだと思うのだが、そんな声はどこからも聞こえてこない。(p.100「品格と美学について」)

やるべき価値のある仕事を共にやっていれば何か特別なことをしなくとも、つまりことさらに何かを教えなくても、人間は自然に成長する。問題は部下との接し方ではない。取り組んでいる仕事が本当にやるべき価値があるのか、そのことを確認して、その価値を共有することのほうがはるかに重要である。(p.154−155「部下は「掌握」すべきなのか」) 

           
                                  

わたしたちは大きなジレンマを抱えてしまった。消費者の立場では「王様」と呼ばれるが、労働者の立場では、一部のスペシャリストを除いて、消耗品となりつつあり、働きがいは失われつつあって、肝心の消費も縮小している。「大きな政府」に戻ろうにも、逼迫した財政状況がそれを許さない。非常にやっかいな循環が始まっていて、今のところ解決策は見当たらない。(p.178−179「労働者と消費者」)

うまい文章、華麗な文章、品のある文章、そんなものはない。正確で簡潔な文章という理想があるだけである。(p.208「ビジネスにおける文章」)


いわば、村上龍による仕事に対する箴言になっている。「無趣味」自体が、村上龍の生き方が反映された言葉だ。しかし、ここに村上春樹を対置してみるとどうだろう。マイペースで、「雪かきしごと」のように小説・翻訳を次々と出版している作家、村上春樹。彼の作風は、文体に支えられている。ビジネスの文章と対極にある。


走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること


ビジネスの世界では、村上龍の本書は、一種カノン的な役割を果たすだろう。一方で、ビジネス以外の世界では、どうふるまえばいいのか。それを教育の次元で語っているのが、内田樹氏である。


街場の教育論

街場の教育論


『無趣味のすすめ』に比肩するのは、教育的側面では内田樹『街場の教育論』(ミシマ社、2008)であろう。思想的にはやはり内田樹『街場の現代思想』(NTT出版、2004)になる。つまり、いま若者たちの指針となり得るであろう書物として、この三冊を推したい。


街場の現代思想 (文春文庫)

街場の現代思想 (文春文庫)


再度確認しておきたいのは、村上龍『無趣味のすすめ』は、総論反対、各論賛成であるということ。「趣味」は必要なのだ。更に付け加えておけば、『無趣味のすすめ』には一切「問題への回答」が書かれていない、ということだ。もちろん、内田樹氏の著書にも「回答」はない。