人間を守る読書


このところ気になる書評本の出版が続いている。坪内祐三『四百字十一枚』(みすず書房)、川上弘美『大好きな本』(朝日新聞社)、鹿島茂鹿島茂の書評大全 洋物篇』『同 和物篇』(毎日新聞社)、四方田犬彦『人間を守る読書』など。坪内祐三川上弘美本はいずれ触れることにして、まずは、四方田犬彦の書評本について。


四百字十一枚

四百字十一枚

大好きな本 川上弘美書評集

大好きな本 川上弘美書評集


四方田犬彦『人間を守る読書』(文春新書、2007.9)は、読書論のかたちをとっているけれど、初出をみれば、それぞれの時期に書評として書かれたものである。全体を見通して気になったところから読む。作家論が面白い。村上春樹吉田健一種村季弘ジャック・デリダ*1など。


人間を守る読書 (文春新書)

人間を守る読書 (文春新書)


とくにジャック・デリダを「最後には老いたハーポ・マルクスそっくりの顔になっちゃった」と記して、デリダとハーポについて、次のように語られるとき、なるほどと首肯できる。

彼らはともに、生涯を通して偉大なる言語破壊者であった。ハーポはそのアクロバティックなギャクを通して、言葉とモノをめぐってわれわれが抱いている制度的通念なるものを、もののみごとに転倒させてみせた。またデリダはというと、つとに奇怪な造語を捏造したり、駄洒落や言葉遊びに耽溺することで、明晰さを信条としてきたフランス哲学の内部で徹底した攪拌者として振舞ってきた。(p.96)


たとえばハーポが制度的通念を破壊するのは第一作『ココナツツ』(1929)ですでに行われていたことを想起してみよう。ホテルの受付カウンターでハーポは、昼食として電話を食べ、インクを飲んでいたではないか。



村上春樹はなぜ世界で読まれているかについて四方田氏によれば、次のような解釈となる。

どこの社会でも、自分たちの政治的挫折や恋愛観、孤独と虚無を癒してくれるテクストとしてまず受け入れられ、読者はその後で著者が日本生まれであり、手にしていた書物が実は翻訳書であったこと改めて気づくといった按配である。なるほど村上は日本語で執筆する日本の作家ではあるが、彼が依拠している文化的感受性や、言及している音楽や映画、あるいは都市生活のあり方は、今日のグローバリゼーションのなかにあって世界的に流通し浮遊しているものであって、特定の土地や民族に帰依しない性格をもっている。(p.39)


「後記」の著者の言葉は、ネット時代における書物の存在について考えさせる。

書物を手にとって読むというのは、人間のあらゆる知的活動のうちにあって、もっとも基本的なことである。インターネット時代に書物などもう古いという人がいたら、わたしは尋ねてみたい。いったい牢獄にパソコンを持ち込むことができるのかと。電気が断ち切られてしまった難民キャンプで、キーボードが打てるのかと。(p.314)


「牢獄」や「難民キャンプ」などいかにも四方田犬彦らしい発想であり、私も書物こそ永遠なり、と思いたい。一時期「月刊四方田」と言われただけのことはある。四方田氏は、高山宏と同様稀代の読書家であり批評家である。


月島物語ふたたび

月島物語ふたたび

*1:デリダの大著『マルクスの亡霊たち』(藤原書店、2007.9)も刊行された。これは必読本。