マッチポイント


この30数年間、一年に一本コンスタントに映画を撮り続けている作家がいる。ウディ・アレン。彼は俳優=コメディアンとして、脚本を兼ねる映画監督だけではなく、小説も書く才人として知られている。


ウディ・アレンの映画は、ユダヤ系ジョークに満ちた一種パターン化されている。『アニー・ホール』(1977)以後は、同じような主題が反復・模倣されてきた。『世界中がアイ・ラヴ・ユ−』(1996)で、ミュージカルの集大成を創ったように、『マッチポイント』(2005))はオペラの集大成となった。

『マンハッタン』(1979)に代表されるように、これまでのフィルムでは作品中に使われる音楽はジャズが中心であった。ウディ・アレンは、ニューヨークを中心にほぼ毎年一本の割合で、映画制作を続けている。海外ロケーションは、『世界中がアイ・ラヴ・ユ−』くらいであった。


今回の『マッチポイント』は、ロンドンで撮影された点でも、また作風でも、これまでの作品と一線を劃すものになっている。それは、映像や会話のテンポでも普通の映画のように撮っている。ウディ・アレンは、変容したのか。


イギリス社会がきわめて保守的な階級社会であることが、シニカルに描かれる。元テニスプレイヤーのクリス(ジョナサン・リース・メイヤーズ)は、富豪の令嬢クロエ(エミリー・モーティマー)に見初められ、父親をはじめ家族に歓迎される。クリスは、クロエの兄トム(マシュー・グード)の恋人だったノラ(スカーレット・ヨハンソン)に惹かれる。


スカーレット・ヨハンソンは、『ブラック・ダリア』(2006)でも運命の女を演じていて、『ロスト・イン・トランスレーション』や『青い真珠の耳飾り』のような清純な少女から、官能的なファム・ファタールに美しく変身している。


冒頭シーンでテニスのネツトの上で宙づりとなったテニスボールは、ラスト近く、盗まれたリングが、川沿いの作の手前に落ちる。すべてが<運>によって左右される。とりわけ、殺人事件のあと登場する刑事のひらめきが、<運>によって否定される逆転が、今度は、妻クロエからの長男出産のあと「次は女の子が欲しい」という台詞は、実に実に怖いラストシーンだ。


以下、ウディ・アレンのフィルムを振り返ってみよう。

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ウディ・アレン『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(1996)は、26本目にして初めてのミュージカル映画。出演者にプロの歌手は一人もいない。ジュリア・ロバーツが、ゴールディ・ホーンが、そしてウディ・アレンまで全員が、懐かしのスタンダード・ナンバーを普通に唄う。見ていてとてもハッピーでいい気分になる。 
   
ウディが、美人のジュリア・ロバーツを口説く光景など、誰が想像できるだろうか。しかもウディの別れた妻がゴールディ・ホーンなんて。その前妻と、セーヌ河岸で踊る二人は、まぎれもなくフレッド・アステアジンジャー・ロジャースになりきっている。もちろん踊りのうまさや優雅さでは比較にならないが、ゴールディ・ホーンが踊りながら空中を飛ぶのだから、アイデアの勝利といえよう。

意表をつくキャストとして、仮出所中の犯罪者ティム・ロス。既に婚約者のいるお嬢さんドリュー・バリモアを誘惑するシーンが、サスペンスのようにハラハラ・ドキドキさせる突出したクレイジーぶりで圧巻。 ところで、ウディ・アレンが、グルーチョ・マルクスの影響下にあることは周知のとおり。

アニー・ホール』(1977)の冒頭で、グルーチョの言葉「僕みたいな人間を会員にしてくれるクラブの会員にはなりたくない」を引用しているし、『マンハッタン』(1979)のラストでは<解決不能な宇宙の諸問題を逃げるため人生を楽天的に考えるのに価値あるもの>の筆頭に、グルーチョが挙げられる。また『ハンナとその姉妹』(1986)でも、ウディはマルクス兄弟の映画を見て、<神がいなくても人生は楽しめるのだ>という悟りを得る。きわめつけは、『世界中がアイ・ラヴ・ユー』の、パーティで全員がグルーチョの仮装をして踊るシーンに象徴されるだろう。ことほどさように、ウディにとって、グルーチョ・マルクスの存在は大きく、彼のフィルムの根底に生きづいているといえるだろう。

ウディ・アレンの名を世界に知らしめたのは、『アニー・ホール』のアカデミー賞作品・監督・脚本賞のトリプル受賞であろう。それ以前の5本は、すべてコメディやパロディ的作品であった。

ウディ・アレンは、イングマル・ベルイマンに憧憬を抱く。ベルイマンのような映画を撮ることが、ウディの理想であった。『アニー・ホール』の成功によって、ベルイマン的世界『インテリア』(1978)を撮ることができたのだった。両親の離婚と父の再婚、その後母親の自殺を、三姉妹がそれぞれに受けとめる重厚な作品である。

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同じように三姉妹を設定した『ハンナとその姉妹』は、ベルイマン的主題を、ウディ独特の自虐的なユーモアのセンスと洗練されたロマンティックな演出で極上のワインのような味わいを出し、模倣から脱した。 ウディの作品の多くは、ニューヨークに住むインテリ達の日常生活、男と女の恋愛やセックス、人生観などの会話が主体で、ユーモアたっぷりかつシニカルに、時には深刻に描かれる。日常のさりげない会話を中心に、映画を構成することは、大変むつかしいことなのだ。

『夫たち、妻たち』(1992)などに見られる小説的映画に、人物たちの内面や感情をウディ流に料理した手腕が冴える。芸術は知的な人間のための娯楽であるが、それで芸術家は救われるわけではないことを、ウディ自らがフィルムを通して語りかけている。 
   

ウディ・アレンは、グルーチョベルイマンの影響下に映画を撮っているが、フェリーニ的なフィルムも同様に重要な位置を占』(1987)が『アマルコルド』なのである。『スターダスト・メモリー』は、お笑い映画を作りたくない映画監督と、彼をとりまく三人の女性とのモラル関係が、現実と映画と空想が錯綜した状態で、編集・構成されたスタイリッシュなフィルム。

ラジオ・デイズ』は、ウディの少年時代を、ラジオをとおして家族の生活や、その時代の雰囲気をノスタルジックに再現した作品。オースン・ウェルズの伝説的な「火星人襲来」が効果的に盛り込まれている。 フェリーニ的祝祭空間は、ウディの洗練されたコメディ・タッチに吸収され、『カメレオンマン』(1983)で際限なく変身しつづける男として完璧に前衛化された。


ウディ・アレンは、ルイーズ・レッサー、ダイアン・キートンそしてミア・ファローと、パートナーが変わってゆくが、ミアとの大スキャンダルのあと、映画の内容に円熟味が増し、エンターテインメント性が大きくなっていることは、誰もが指摘するところであろう。

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『マンハッタン殺人ミステリー』(1993)では、はじめてミステリーの要素が加わり、『ブロードウェイと銃弾』(1994)には、作家よりもギャングの方が才能があるという皮肉を、『誘惑のアフロディーテ』(1995)は、明るく官能的なミラ・ソルヴィーノ(アカデミー助演女優賞)を、モンローのように起用するなど、ますます映画製作のテンションが上昇してきている。

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その後、作家としての自分を自虐的に描いた『地球は女で回っている』(1997)、豪華キャストを集めた『セレブリティ』(1998)、素朴な愛の表現『ギター弾きの恋』(1999)、いささかマンネリの『おいしい生活』(2000)、映画監督を戯画化した『さよなら、さよならハリウッド』(2002)など、常にニューヨークを舞台に撮り続けてきた。

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これら多くの映画を撮り終え、はじめて本拠地ニューヨークを離れロンドンで撮ったのが『マッチポイント』であり、円熟の境地に達したウディ・アレンの今後の展開がますます楽しみになってきた。