グラン・トリノ


クリント・イーストウッドグラン・トリノ』(2008)は、最後の主演作として、見事に俳優人生に決着をつけている。感度的なラストシーンを持つ傑作だ。今年79歳になるイーストウッドは、『ローハイド』のテレビ俳優として日本で知られ始めた。かれがイタリアで撮ったセルジオ・レオーネによる三部作『荒野の用心棒』(1964)『夕陽のガンマン』(1965)『続・夕陽のガンマン/地獄の決闘』(1966)、いわゆるマカロニ・ウエスタン(スパゲッティ・ウエスタンが正しいらしい)で、俳優としての地位を確立した。


グラン・トリノ [DVD]

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アメリカへ凱旋したイーストウッドは、ドン・シーゲル監督のもと『マンハッタン無宿』1968)『白い肌の異常な夜』(1971)等で力量を挙げ、自ら独立プロ「マルパソカンパニー」を設立し、ドン・シーゲルに協力を仰いで監督第一作『恐怖のメロディ』(1971)を撮る。『白い肌・・・』と同様に、強いキャラクターではなく女性に翻弄される役柄でスタートしたことは、イーストウッドの資質を表わしているといえよう。


ダーティハリー 特別版 [DVD]

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イーストウッドをスター俳優とした決定的フィルムは、申すまでもなくドン・シーゲル監督『ダーティ・ハリー』(1971)であった。法規範で対処できない犯罪者には、有無をいわさず拳銃で倒す、という強い男がその後イーストウッドのイメージを固定したかにみえた。当面はハリー・キャラハン像を破壊することなく、無敵の強い男を演じているが、自ら監督する作品では、徐々にイメージを変容させるキャラクターを演じて行く。


センチメンタル・アドベンチャー [DVD]

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『ブロンコ・ビリー』(1980)や『センチメンタル・アドベンチャー』(1982)あたりで、人間味・人間性の幅が広くなった。年齢とともに実年齢にあった役を演じ続けることは、この世界にあってはきわめて困難なことだ。「マルパソ」を拠点に、イーストウッドは『許されざる者』(1992)*1では引退した老ガンマンに扮して、西部劇へのオマージュと同時に西部劇から決別した。


ミリオンダラー・ベイビー [DVD]

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ミリオンダラー・ベイビー』(2004)では、老いたボクシングトレイナー役を演じて再度の、アカデミー賞監督賞を受賞した。硫黄島を舞台にした日米それぞれの側から『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(2006)二本を監督した。硫黄島二部作は、誰もなしえななかった偉業と言っても過言ではない。天才のみが可能なフィルムとして戦争の本質を露呈させた。そして『グラン・トリノ』である。元フォード工場で働いていた頑固な老人を演じた。実に見事に年齢を重ね、実年齢にあった役を演じつづけた結果、イーストウッドのフィルム履歴を参照させながら、俳優としての決着をつけたのが『グラン・トリノ』であった。



グラン・トリノ』のイーストウッドは人種差別意識が強く、かつてフォードの工場があった住宅地には、東洋系の移民が多く、周囲に白人は少ない。冒頭、教会での妻の葬式シーンから始まるが、喪主であるイーストウッドは苦虫をかみつぶしたような表情をしている。子供や孫たちの態度に不快の思いを露わにする。一人残された父を気遣うのではなく、土地と家にしか関心を示さない息子家族。若い神父は紋切型のことばしか言えない。妻を亡くした老人の気持ちを慮るひとは、その教会にいなかった。


許されざる者 [Blu-ray]

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隣のモン族一家は、老婆が不信の目でイーストウッドをみるのを除けば、母親や娘たちは好意的に接してくる。それを迷惑に思う頑固で偏屈な老人役は、70代後半のイーストウッドにぴったりだ。目をまぶしそうに細めるしぐさは、『荒野の用心棒』や『ダーティ・ハリー』の役と変わらない。年老いても背筋がすっと伸びた長身のイーストウッドは力強さを感じさせる。


ブラッド・ワーク 特別版 [DVD]

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隣家のモン族の長男タオは、同じモン族の不良仲間に強引に誘われイーストウッドの愛車「グラン・トリノ」を盗もうとしたところを見つけられる。モン族の家族はタオに手伝いをさせるよう申し出てくる。しぶしぶ少年タオの面倒をみることになり、また姉のスーを不良黒人から救ったことで、隣家はイーストウッドに食べ物や花を玄関先に置いて感謝の意を表そうとする。それをも迷惑と感じるイーストウッドを、モン族が集うパーティへスーの誘いを受けて隣家を訪れる。そこには占い師がいて、イーストウッドの孤独な内面をずばり言いあてられ、自分を理解してくれるモン族の人々に少しづつ親しみを感じて行く。


ホワイトハンター ブラックハート [DVD]

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タオを友人の床屋に連れていって大人の会話のやりとりを教えるシーンは、俗語が飛び交う許容された世界。タオを友人でアイルランド系の建築業者に紹介する。イーストウッド朝鮮戦争に参加し、子供を殺戮したことへの深い反省の思いがあり、記憶の底にその罪の意識を背負っている。



硫黄島からの手紙 [DVD]

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タオが不良仲間に傷めつけられ、更に、スーが凌辱されたことを知り、イーストウッドは怒りをもって、不良仲間が集まる家の玄関前に立つ。タバコを口にくわえ火をつけるライターを取ろうと胸のポケットに手を入れた瞬間。。。俳優人生の決着をこのようなかたちで付けるとは、長い間イーストウッドを見てきた者には衝撃であった。次世代の若者への<教育>がこの映画のテーマであった。モン族の少年、カトリック教会の若い神父への教育を身を持って示すこと。これがイーストウッド主演最後のフィルムとなった。




クリント・イーストウッドは、正統派としてではなく、スタジオシステム崩壊後俳優の道へ進み、イタリア経由でスターとなり、セルジオ・レオーネドン・シーゲルを師匠として、自ら監督すべく独立プロ「マルパソ」を立ち上げ、紆余曲折を経て現在のスタイルに到達した。監督と主演を兼ねる作家として、ウディ・アレンがいるけれど、ウディとの決定的な違いは、年齢をフィルムに刻む姿勢にかかわる。ウディ・アレンはいわば年齢不詳の役が多く、<恋愛>にまつわるコメディを撮り続けている。年齢に伴う<成長の軌跡>がまったく見られない。だからいつ見てもウディ・アレンは、ウディ・アレン以外の何物でもない神経症的人物を反復している。一方、クリント・イーストウッドは、フィルムに<成長の軌跡>が刻印されている。天才と優れた監督との、大きな差異である。



ユリイカ』2009年5月号で「クリント・イーストウッド」特集が組まれている。かつては単なるアクション俳優と看做されてれていたイーストウッドが、優れた本格的映画作家として評価されたことの証明でもある。


■追記(2009年5月4日)
ブルース・リッカーが監督したドキュメンタリー『Clint Eastwood: Out of the shadows』(2001)は、俳優および映画監督としてのイーストウッドについて多くの関係者の証言を集めたものだ。


クリント・イーストウッド アウト・オブ・シャドー [DVD]

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*1:許されざる者』では、「セルジオとドンに捧げる」とクレジットされている。イーストウッドが、セルジオ・レオーネドン・シーゲルから映画の基本を学んだことが示されている。本作によって、イーストウッドが「アカデミー賞」の監督・作品賞を受賞して、ハリウッドが映画的才能を認めたことは周知のとおり。