腐女子化する世界


杉浦由美子腐女子化する世界 東池袋のオタク女子たち』(中公新書ラクレ,2006.10)を読む。小説や漫画・アニメにしても、通常は読者が登場人物に感情移入して読む。ところが、「腐女子」と呼ばれる「オタク女子」は、「自分探し」だの「自己実現」とは全く無関係の自分不在の「物語」を「他者(男性同士の恋愛)物語」として楽しむのだ。



なるほど、そんな読まれ方もありだな、と思いながら本書を読了したのだが、どうも「格差社会」や「下流社会」という言葉とは無縁にみえるけれど、あきらかに、現実逃避的な「妄想」の世界に満足している女性たちであり、「コンテンツ」として読まれているが、背景には不可避で無限に続く「差別社会」があることが分かる。解かったからどうというわけでもない。そんな女性たちの存在は、「オタク男性」と価値観が、180度異なる。


下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)


腐女子とは格差社会を生き抜く知恵」だと著者はいう。男性のオタクがニ次元のゲーム内少女に欲望するように、抑圧されてきた女性の欲望が、ボーイズラブに向かうことは批判されるべきことではなく、異性の同性愛に幻想的に欲望するのは、男女とも同じ構図だといって良い。女性の欲望が表面化し正当化されたことにほかならない。自らを「腐女子」と称することで、世間的に一歩引いているとみるべきだろう。


男性はオタク化し女性は腐女子化するのは、文化的成熟によるものであり、とりわけ女性の場合、背後に活字文化を支えていることを考えれば、出版界への貢献度は、腐女子>オタク男子ということになるではないか。



しかしながら、腐女子化する社会的背景には、労働差別による階層分化があることを指摘しておかねばなるまい。バブル期の総合職女性は、腐女子化へ向かうのではなく、「負け犬」か「勝ち組」の二者択一的に捉えられていた。ポストバブル世代の女性は、正規職員>派遣職員>フリータの差別の中で労働を強いられていることが根底にある。未来が見えない世代にとって、労働現場からの逃避として「腐女子」化することは非難される謂われがない。


負け犬の遠吠え (講談社文庫)

負け犬の遠吠え (講談社文庫)


ただ、オタク男子と腐女子では文化圏が交差しないことこそ問題だろう。欲望に忠実であれば、サブカルチャーがカルチャーを排除し、「自己不在」の物語として文化的に消費されるのみだ。その消費力がどこへ向かうのか、予測がつかない。ただ、一つ言えることは、腐女子がオタクを凌駕する日がいずれやってくるのではあるまいか。何しろ、女性の方が圧倒的に男性より強いのだから。


オタク女子研究 腐女子思想大系

オタク女子研究 腐女子思想大系


ここで、あえて死語となった「階級」なる言葉を用いて、日本の社会構成を①資本家、②旧中間階級、③新中間層、④労働者という4つの「階級」に分けて分析されている橋本健二『階級社会』(講談社メチエ,2006,9)を参考書としてあげておこう。*1
腐女子」と「オタク」が、この中のどこに位置するかは、一概にはいえない。当然、個人差があるだろう。しかし、まぎれもなく日本は、かつての「中流社会」から「階級社会」へ転化しているという見方は、ひとつの示唆として提示されている。


階級社会 (講談社選書メチエ)

階級社会 (講談社選書メチエ)


格差社会」か「下流社会」なのか、あるいは「階級社会」か、定義はともかく「経済的格差」が厳然として存在していることは確かだろう。

*1:特に「第六章 女たちの階級選択」が関係する。