山田稔 何も起らない小説


セミナーシリーズ*1鶴見俊輔と囲んで・4『山田稔 何も起らない小説』(編集グループ・SURE, 2006.7)を読む。シリーズとしては4だが、鶴見俊輔を囲む会としては、第一回のゲストが、山田稔氏。山田氏の作品は、講談社文芸文庫の『残光のなかで』のなかの二編を読んだ程度で、この作家についてほとんど知らなかった。


残光のなかで (講談社文芸文庫)

残光のなかで (講談社文芸文庫)


山田稔 何も起らない小説』によれば、山田氏は京都大学を退職後、「名誉教授」の称号授与を断っている。

名誉教授を断るときは、とくに決心というものはなかったです。それで、うれしいことに慰留もされなかった。・・・だいだいぼくは肩書っていうのが嫌いでね。(p.39)


山田氏の作品を書く姿勢は、

締め切りにしばられるのが嫌で。自由な状態でいたい。十分時間をかけて書いて、それを何べんも推敲するというやり方ですね。自分の書きたいことを書きたいスタイルで、書きたいときに書く。この三つの条件が整ったときにいい文章が書ける、というのがぼくの信条。(p.31)


とはっきりしている。また、次のように述べる。

題は凝ったものではなく、シンプルなものの方がいい。それから、題がなかなか決まらないときは、大体、作品のどこかに欠陥があるんです。題というのは作品の重要な一部で、題が内容を説明しているのではなくて、内容のすみずみまで滲みとおっている。そんなふうでなければいけない、とぼくは考えています。(p.50)


鶴見俊輔による山田稔作品についての評価は高い。

世の中どんどん悪くなっていくと思うんだ。ぜんぜんよくなる兆しがない。百年二百年悪くなっていくんじゃないかと思う。そのなかに身を置いたときにね。山田さんはよくやってんじゃないかと思う。(p.52-53)


囲む会の一員、斎藤聖子さんは、『リサ伯母さん』の中の「愛妻弁当」や「極楽ホテルの鳥」に触れて、

山田さんの小説の主人公は、ほんとうにふつう。ふつうの細かいところがからみあって、それを私はわかるというか生々しく感じて。ナイスガイっていう感じはそんなにせまってこーへんかったけど、読んでから一週間くらい、パンを作りながら、思い出していました。(p.44)


と本人を前にして感想を述べている。


特別な一日―読書漫録 (平凡社ライブラリー)

特別な一日―読書漫録 (平凡社ライブラリー)


荒川洋治は、『特別な一日』(平凡社ライブラリー,1999)の「解説」で、山田稔の文章を特質を言い当てている。

はじまったところではじまり、終わったところで終わる。文章が、一日のように流れて暮れる。そういう自由な、ゆたかな時間を過ごす作者が記した、愛情と詩情の文の集まりである。エッセイというものは、実のところこういうものであり、こういうもの以外ではないのだと思う。(p.342)


編集者についての鶴見俊輔の考え。

編集者という職業の人は、東京は京都の百倍もいいるんだ。だけど編集者の大部分は目利きじゃないね。編集者自身は、その職業を選んだだけで目利きだと思っているんだ。そこに問題があるんだよ。率直にいえばね、私の同時代では、林達夫花田清輝は目利きだった。あとは、そうじゃないんだ。
−しーんとする−(p.54−55)


小説やエツセイが安易に書かれ、大量の本が出版される昨今、この小冊子には「書く」ことの意味を考えさせる「ことば」が散りばめられている。拳拳服膺すべし。


旅のなかの旅 (白水uブックス―エッセイの小径)

旅のなかの旅 (白水uブックス―エッセイの小径)

*1:この<セミナーシリーズ鶴見俊輔と囲んで・1>の『『論語』を、いま読む』は、2006年1月2日の拙ブログで紹介している。