小林秀雄対話集


小林秀雄対話集 (講談社文芸文庫)

小林秀雄対話集 (講談社文芸文庫)


小林秀雄対話集』のなかで、小林秀雄はヨーロッパ旅行について、永井龍男との対談で語っている。もともと「旅行記」執筆の予定だったが、現地を訪れて「まあ旅行記なんか書いたってろくなものは書けはしない」(p.140)と述べている。確かに小林秀雄には、多くの文人がヨーロッパを旅して書いた「旅行記」の類は一切ない。


小林秀雄はヨーロッパ旅行で「エジプトには一番驚きました。」(p.142)と語っている。

言わば歴史の魂が出てきた様な感じを受ける。・・・(中略)・・・建築というものの魂、彫刻というものの魂と言った印象を受ける。第一、エジプト人には建築の美学も彫刻の芸術性も、そんな考えはなかったのだからね。神殿は神殿の住居だし、彫刻は生きていて食事もすると信じ込んでいた。芸術なんかを作っていたのではないのだからね。日常生活になくてはならぬもの、最も大切な物を精魂こめて作っていたに過ぎない。それがああいう遺物の持っている力の秘密の様に思われた。(p.145)


小林秀雄のエジプト遺跡に注がれた眼は、「歴史の魂」であり、エジプト人の「日常生活」だった。遺跡は芸術ではなく、生活から必然的に作られたという見識。古代における芸術や美学は、後世の人々が勝手にそう評価したに過ぎない。


また、河上徹太郎との対談では、エジプトをギリシアと比較して次のように述べている。

ギリシアのものが古典的なら、エジプトのものは何的なんだろうと思って了うのだよ。唐が古典的なら六朝はアルカイックだと美術史家はいう。そういう意味でエジプトのものは決してギリシアのものに対してアルカイックではない。ヘーゲルの様に歴史というものを精神の発達史、自己実現史として考えれば、エジプトは、その謎を解いてもらおうとして手渡したと考えたっていいだろう。スフィンクスの謎は、デルフィの汝自身を知れ、に発展したんだ。(p.165−166)


小林秀雄は、茂木健一郎が言うように毀誉褒貶にさらされているけれど、いわば精神と肉体(心脳問題)や芸術の問題に本気で取り組んだ稀有な文人だった、と思わないわけにはいかない。