『こころ』大人になれなかった先生


みすず書房の「理想の教室」シリーズの第2回配本。石原千秋『『こころ』大人になれなかった先生』は、漱石の作品の重層性に迫る内容で、「理想の教室」を3冊読み、このシリーズがいかに読みやすく、刺激的でしかも面白いかに言及したい。


『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室)

『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室)


まず、冒頭に『こころ』のテクストの抜粋が置かれる。約50頁。一度読んでだいたいの梗概を知ってはいても、作品の細部にまで眼を向けないのが一般的な読み方だ。ところが、研究者レベルでは、『こころ』の解読をめぐっていくつかの見方があるようだ。


こころ (新潮文庫)

こころ (新潮文庫)


まず、先生の立場から、「視線」をキーワードに、次のように解く。

先生には「K殺し」のモチーフ(動機)があったのではないでしょうか。だからこそ、すでにお嬢さんの意思を確認していて、必ず勝つとわかっている恋のゲームに、Kを誘いこんだのではなかったでしょうか。先生はKとの戦いに勝つために恋を必要としたのです。そう考えて、はじめて先生の過剰なまでの罪の意識の理由が理解できるのです。(p.100)


一方、青年の位置からみれば、「先生の遺書」に込められたメッセージがわかったときに、青年は「先生」を乗り越えることができたと石原氏はいう。

先生の禁止を破った青年は、象徴的レベルでの「父親殺し」をなしとげ、「大人」になったのです。青年の語る物語に隠されていたのは、「青年が大人になる物語」だったのです。「自由と独立と己れとに充ちた」(上十四)時代にあっては、こういう形でしか、人が一人の「大人」になれなかったのです。(p.120)


先生・青年とくれば、通常その次は、Kの立場となるが、石原氏は、先生とKの三角関係の中心であった女性に焦点をあてる。この点が、新しい読解になる。

先生の恋人=妻であった静の立場から、石原氏は『こころ』の意図的なほころびを重要なてがかりとして、静は、Kと先生のすべてを知っていたこと、しかも、知っていながら、青年に一部しか語っていなかったことなどが明らかにされる。

「みんな」知っている静から見れば、男たちの物語は「父を乗り越えて大人になる物語」などではなく、女の掌(てのひら)の上で「大人ごっこをしている子供たちの物語」になるはずです。
静の位置は、こういう形で『こころ』の中に隠されていたのです。そして、そういう静をも含む「世間」に向けて、いま青年は先生の遺書を公表しようとするのです。(p.148)


『こころ』が、青年の回想で書かれていて、「先生の遺書」を公開する時点では、青年は静と再婚して子供がいることが、解読され、上記の結論に至る。しかも、青年は遺書を公表するときには、静を批判的に見ることができる位置に成長している、というわけだ。『こころ』が未来小説とすれば、青年と静の新たな愛の葛藤が、この後、展開されるはず。


根拠は、明治45年先生の自殺当時、先生37歳、静29歳、青年26歳。

まず、漱石の『こころ』(新潮文庫)を読み、本書を読めば、眼からウロコが取れるという仕掛けだ。なるほど、こんな見方があったとは。漱石の作品は奥深い。


本書の巻末には、『こころ』のあらすじ、『こころ』年表1「先生」・年表2「K」が置かれ、明治時代の「学校系統図」、最後に「読書案内」の文献ガイトがあり、読み手が『こころ』に挑戦できるよう構成されている。


なお、石原千秋には、入試国語を中心とした国語教育の分野での著書がある。


教養としての大学受験国語 (ちくま新書)

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大学受験のための小説講義 (ちくま新書)

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評論入門のための高校入試国語 (NHKブックス)

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