サマリア


一部の映画関係者に高く評価されているキム・ギドク。今回はじめて『サマリア』を遅ればせながら観ることができた。一本のみでキム・ギドクを論じるつもりはない。あくまで『サマリア』から受けた衝撃について「偏見的鑑賞の記録」として残しておきたい。ネタバレを含むが、公開後の時間経過もあり了解いただきたい。


サマリア [DVD]

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サマリア』は、「バスミルダ」*1サマリア*2ソナタ*3の三部構成になっている。二人の女子高生、チョヨン(ハン・ヨルム)とヨジン(クァク・チミン)は親友同士。チョヨンの意向で、ヨーロッパ旅行に行く金を稼ぐ方法として援助交際をする。チョヨンがホテルで男性と時間を過ごす間、ヨジンは見張りをするとともに、稼いだお金の管理もまかされていた。二人の親密さは、銭湯で裸のまま見つめあいながら、交わすことばに現れている。


ある日、警察の手が入り、チョヨンはホテルの窓から飛び降りる。病院で治療を受けるが、やがて、チョヨンのあっけない死。二人の援助交際の記録は、ヨジンの手帖に残されている。ヨジンは、チョヨンが相手にした男性と会い、交渉のあとお金を返すという行為を繰り返す。


このように書くと、少女たちの援助交際にかかわる罪と贖罪が主題のように見えるが、実は、そうではない。実際、少女たちのセックスは一切、映像として描かれることはない。


ヨジンは、刑事の父ヨンギ(イ・オル)と二人暮らしであり、母はすでに死亡していることが、ドラマの中で語られる。ヨジンは、チョヨンが相手をした男性を呼び出し、お金を返すことを繰り返している時、偶然父に目撃される。父は、娘の行動にショックをを受け、相手の男性に対してつぎつぎと復讐に似た行為を、反復して行く。そして、ついにある男性を殺害してしまう。


父親は、娘を連れて故郷の母の墓参りに誘う。山河、畑などいかにも田舎の風景があり、盛り土になっている母の墓の前で、父娘は無言で食事をとる。日暮れとなり、老人の世話で一軒家に宿泊する二人。ロードムービーと化したフィルムは、父娘をあたかもの恋人同士のように見せる。自動車の前輪が瓦礫にからまり、空転すると娘は黙々と前輪の下の瓦礫を一枚づつ取り除く。


娘がみる夢に、父が娘の首を絞め、土葬し耳にイヤホンをつけ土の上からCDプレイヤーに接続するシークェンスがある。娘は、自分の行為に対して刑事としての父がとるであろう罰則を夢で自罰としてうける。しかし、事態は意外な方向に進み、父親は、娘に車の運転を教える。そして、父は自ら、警察に連絡をとる。車の運転をする娘ヨジンが気づくと、父は警察の車とともに、去って行こうとする。後を追うヨジンの車は、ぬかるみにタイヤをとられ、空回りする。キャメラは、走る去る父を乗せた車と、空転する車を、引いた俯瞰ショットで捉える。


このシークェンスについては、娘ヨジンが見る夢が現実で、土葬した娘への贖罪から、父ヨンギは自首するという解釈も可能だ。「夢」の映像がリアルであり、父が娘に車の運転を教える光景は賽の河原の幻想とみることができる、もちろん仮説ではあるが。


こうみてくると、『サマリア』とは、援助交際が映画の序章にすぎず、実は、父と娘の物語であったことに思い至る。しかも、無力な父親象が示される。映像として、時にハッとする画面が挿入されるが、むしろ、荒涼とした光景とでも呼ぶべきショットが多い。


さて、物語として父に焦点をあてると、『サマリア』の悲劇は、刑事の父が、車で娘を学校まで送る日常から、著しく離脱し、過剰なまでに、怒りを少女たちの相手をした男たちに向けられる。男たちへの暴力が、ある男の家庭破壊をもたらし自殺へ追いやる。また、最後の男にたいしては、殺人という極限まで行き着く。


<救済>されることなど一切ないフィルムとして『サマリア』は、現前している。家庭環境がまったく空白のチョヨンは、いつも笑顔をたやさない聖女のイメージが強い。しかし、彼女と接する男たちは、ヨジンによる反復行為において存在を否定され、果ては父親によって破滅させられる。どこにも救いがない。


サマリア』一本についていえることは、キム・ギドクの「罪と罰」版であり、根底的には悲劇であり、現実の裏面を乾いたタッチで描く、両義的悲劇作家。現実社会へ常に「否」を突きつける。<救い>がないことが、逆説的に、キム・ギドクの映画を際だたせる作用をもたらす。観るものに、自己の暗部を浮かびあがらせる稀有な作家だ。


「映画は私にとって闘いである」(キム・ギドク


■参考サイト

サマリア』については、tatarさんが「サマリアから眺める」宮台真司の批評の引用などをされており、一読をお薦めする。


『サマリア』公式サイト


キム・ギドク関連本

キム・ギドクの世界 ?野生もしくは贖罪の山羊?

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■追記

キム・ギドクは、『サマリア』(2004)が10本目の映画となる。その内、4本がDVD化されている。『春夏秋冬そして春』(2003)あたりから気にかかっていた。映画は原則としてスクリーンで観たいけれど、キム・ギドク特集や、キム・ギドク、レトロスペクティヴなどは考えにくい。時期をみて、まとめて観ておきたい注目監督であることを、『サマリア』で確認できた。以下のフィルモグラフィのとおり、なぜかキム・ギドクを見逃し続けてきた。深く反省している。


フィルモグラフィ
・『鰐』(1996)
・『野生動物保護地域』(1997)
◎『悪い女 青い門』(1998)*4
◎『魚と寝る女』(2000)*5・・・この作品の予告編は観ている。予告編の印象が良くなかったので、見逃した。残念!
・『実際状況』(2000)
・『受取人不明』(2001)
◎『悪い男』(2001)*6
・『コースト・ガード』(2002)
◎『春夏秋冬そして春』(2003)*7・・・予告編は観ているが、なぜか見逃した。
・『サマリア』(2004)
・『空き家』(2004)・・・2006年日本公開予定

◎印は、DVD発売中のもの

*1:インドの伝説的娼婦の名前

*2:新約聖書ヨハネ第4章「サマリア人」参照

*3:ソナタ」は韓国の大衆車の名前

*4:asin:B0002IJOYI

*5:asin:B00077DAYY

*6:asin:B0002CHQ0I

*7:asin:B0006FNIBM