成瀬巳喜男の世界へ


蓮實重彦山根貞男編『成瀬巳喜男の世界へ』(リュミエール叢書 36)。本書は、1998年スペインのサン・セバスチャン国際映画祭のカタログをもとに、成瀬巳喜男生誕100年を記念して発行された。


成瀬巳喜男の世界へ リュミエール叢書36

成瀬巳喜男の世界へ リュミエール叢書36


蓮實重彦の功績は、監督、女優、キャメラマン、映画美術家たちへのインタビューにある。もちろん、蓮實重彦の代表作は『監督 小津安二郎』になるだろう。かつて淀川長治が指摘したように蓮實氏の文体は「お経のような文章」であり、評論は波長が合わないと読みづらい。ところが、インタビュー集には、映画関係者からの生の声を引き出していて、会話体であり、読むことへの抵抗を緩和している。


監督 小津安二郎

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厚田雄春からの「聞き書き」を記録した『小津安二郎物語』(リュミエール叢書1)、成瀬巳喜男美術監督であった中古智との対話『成瀬巳喜男の設計』(リュミエール叢書7)などに、蓮實重彦の功績を認めるべきであろう。


小津安二郎物語 (リュミエール叢書)

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実際、『成瀬巳喜男の世界へ』でも、岡田茉莉子へのインタビュー、撮影の玉井正夫との対話、それに、中古智からの「聞き書き」が加わって、申し分ない。蓮實重彦は序文として「2005年の成瀬巳喜男」を寄稿し、論考は『寡黙なるものの雄弁』と題して、戦後の成瀬作品を分析する。成瀬巳喜男の代表作はよく『浮雲』といわれるが、男女の位置関係は、その他の作品、『めし』『妻』『山の音』『乱れる』などに共通するものとして、成瀬的世界を解読している。


めし [DVD]

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乱れる [DVD]

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蓮實重彦の映画評論としては、小津論は別格として『映像の詩学』や『ハリウッド映画講義』『シネマの扇動装置』などがある。蓮實節とも呼ばれるその文体は、独特のリズムによって映画的文体ともいわれるが、あまたのエピゴーネンが模倣に狂奔した功罪の「罪」から眼をそむけるべきではない。しかし、それまで、映画批評は、どちからといえば思想的アプローチが多かったなかで、映画の表層、換言すれば、撮影・照明・美術などに注目した嚆矢でもあったことは評価されて良い。さらに、蓮實ゼミ出身の映画監督として、周防正行黒沢清青山真治など、すぐれた監督を輩出させた功績も大きいだろう。


映像の詩学 (ちくま学芸文庫)

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映画狂人 シネマの煽動装置

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なお、蓮實重彦のもう一つの功績は、季刊誌『リュミエール』全14冊の発行にあることは、申すまでもあるまい。「73の世代」の定義づけや、エルンスト・ルビッチの再発見、ボリス・バルネットに代表されるソビエト連邦時代の優れた監督たちの紹介は、蓮實重彦の功績と言っても過言ではあるまい。さらに、レンフィルムの紹介は、蓮實重彦以外の誰もなしえなかったことは、映画史を語るときには外せない重要な記憶となるであろう。