澁澤龍彦との日々


澁澤龍彦との日々

澁澤龍彦との日々


他界後18年がすぎた澁澤龍彦。その二度目の奥さんである龍子さんによる『澁澤龍彦との日々』(白水社)を購入・読了した。かつて澁澤ファンであった一読者としては感慨深いものがある。澁澤氏の死後、全集および翻訳全集が刊行され、また、代表作のほとんどが文庫化されている。異端であった文学者は、時代が一回りして、正統となった。三島由紀夫に評価され評論家・翻訳家・小説家として、一時代を劃した澁澤龍彦について、数多くの批評・回想の類が出版されてきた。でもそれは、書かれたテクストとしての澁澤龍彦であり、書く側の、書いている澁澤龍彦と常時つき合ってきた同伴者・妻の立場からとなると、興味深いものがある。とりわけ、澁澤氏の場合ほとんど自宅の書斎で書き、その清書を妻の龍子さんが手伝っていたことなど本書によって分かった。


本書は、「出会いと結婚」「執筆の日々」「旅と交友」「発病」そして「全集刊行と没後の日々」で構成されている。18年間の結婚生活。夫人の龍子さんが湘南族でスポーツ少女であり、本来は好みではなかった文学青年(といっても40歳を過ぎていた)との邂逅は、雑誌編集者となり澁澤龍彦の担当になったことによる。龍子さんは、澁澤氏の一回り下、12歳違いであった。同世代であれば、交差することもなく、夫人は別の世界に生きたであろうことは本人も本書で述べている。


本書を読むと、澁澤龍彦がいかに一篇づつの作品を大切にしていたかが、よく分かる。いいかげんに書くということは、出来なかったのだ。絶筆となった『高丘親王航海記』は、途中の発病にもかかわらず、最後まで書き貫いた、その意思の強さを間近で接した夫人ならではの記述など、胸が熱くなる。



読者として、さほど意識していなかったけれど、夫人によれば、三島由紀夫自死以後、作風が変容したという。1975年以前と以後では、たしかに後半は小説に傾斜している。しかし、一読者としての澁澤観はスタイリッシュで博覧強記なエッセイストとしてのイメージが強い。また、サド、ユイスマンスバタイユなどの翻訳家としても、優れた訳を残している。桃源社版『澁澤龍彦集成』を古書で求めたり、眼に触れた単行本など何冊か、あとは文庫の読者ということになる。『黄金時代』『偏愛的作家論』『幻想の画廊から』『夢の宇宙誌』『胡桃の中の世界』などを愛読した。幻想文学に一定の評価を与え地位を確保したのは、氏の功績であろう。


本書は、結婚前後からの澁澤龍彦の交友関係にも筆がおよび、交友者が一時代の日本における外国文学にかかわる著名な名前が登場し、主として澁澤家での会食の模様が浮かびあがる。種村季弘巌谷國士、松山俊太郎、出口裕弘中井英夫等々。澁澤龍彦の文学人生は、きわめて幸福に満ちていたのだと、あらためて認識した次第。


フランス文学の澁澤龍彦、ドイツ文学の種村季弘、異端文学であればこの二人の書物をひも解けば、示唆されることが多いという定説。種村氏はじめ澁澤龍彦の交友たちも、鬼籍に入られた方が多い。


1987年の他界時は、いわばポスト・モダンの時代であり、異端文学・幻想文学自体の存在は容認されていたものの、周縁的な文学者という印象がつきまとっていた。ポスト・モダンの時代が終わり、哲学や思想受容の流行が丸山眞男の「古層論」を持ち出すまでもなく、表層的であったことが分かってきた。


つまり、流行の思想と関係なく、優れた文体による傑出した文学者であったことが、これから検証されるだろう。本書は、その際の貴重な資料的価値ある書物となろう。また、澁澤龍彦の蔵書目録が国書刊行会からの発行が予定されているようだ。

澁澤夫妻は、子どもを持たなかった。

お互いがもっとも関心をもつ存在、常にいちばん愛している状態でいたい、と彼はいっておりました。・・・(中略)・・・
結婚するとき彼がわたしに頼んだのはただのひとこと、「いつまでもオバサンにならないでね」(p.18ー19)


多くの作家は他界後、未亡人となった伴侶によってその私生活を暴露されてきたが、澁澤龍彦の場合、理想的な伴侶を得たことで、澁澤氏のイメージが良き方向に増幅されることは間違いないだろう。

澁澤龍彦―ユートピアふたたび KAWADE夢ムック

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澁澤龍彦の時代―幼年皇帝と昭和の精神史

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■追記

澁澤龍彦との日々』の装幀をみると、菊池信義になっていた。坪内祐三「『別れる理由』が気になって」(講談社*1の悪趣味な装幀も菊池信義だった。同じ装幀者で、なぜこんなに違うのだろうか。澁澤龍彦のほとんどの本の装幀は、菊池信義であるのに較べて、坪内本の中で最悪の品のない装幀になっているのは、一体どのような理由からだろう。不思議といえば、不思議なことだ。書物の印象は、装幀によって随分異なるものだから。