逃亡くそたわけ


逃亡くそたわけ

逃亡くそたわけ



絲山秋子『逃亡くそたわけ』(中央公論新社)は、絲山氏の4冊目の単行本にして、はじめての書き下ろし小説である。タイトルがいささか下品な感じを与えるけれど、読了感がきわめて清々しい作品になっている。


躁鬱病の21歳のあたし「花ちゃん」と、茶髪のサラリーマンで鬱病の「なごやん」が、精神病院から逃亡し、九州を縦断するロード・ノベル=小説である。


「あたし」にはたえず、「亜麻布二十エレは上衣一着に値する。」(マルクス資本論』の「商品と貨幣」で言及される)が幻聴として聴こえてくる。しかし、「あたし」には、その意味がわからない。一方「なごやん」は、ヘーゲルウィトゲンシュタインなどを引用するインテリである。つまり、「あたし」と「なごやん」はいずれも絲山秋子の分身なのだ。


「あたし」は、21歳の学生で、自殺未遂をはかり、両親の意向で、百地病院に入院させられていた。そこで投薬される統合失調症の薬は、あたしを余計不調にしてしまう。「あたし」はこのまま病院に居ることで、自分が崩壊するのではないかとの不安から逃亡を企てる。そのときたまたま、「なごやん」がいたので一緒に脱走することになる。


「あたし」は博多生まれのため、つねに博多弁を口にする。「なごやん」は名古屋生まれだが、東京で大学生活を送り、最初の職場が福岡であり、東京人を自称しており決して方言を話さない。唐突に名古屋弁がでるところが軽妙であり、二人の対照的な設定が生きている。


「あたし」は躁状態、軽い鬱の「なごやん」とのかけあい漫才風会話が延々と続く。途中のコンビニや、温泉旅館、ガソリンスタンドなどの情景が、それぞれ趣向が凝らされていて軽快に読ませる。


山のなかに突然、猫山メンタルクリニックが出現する。ライオンのような医師が、二人に薬を処方する光景が良い。ライオン先生が、あたしの幻聴「亜麻布二十エレは上衣一着に値する。」が『資本論』からであることを指摘する。むろん、これも絲山秋子の知識がなせるもの、彼女は早稲田大学政治経済学部経済学科卒業なのだから。

ゆたーというのは、世界をまるごと抱きしめたくなるような気持ちだ。そして世界があたしを抱きしめ返してくれて、全身の力が抜けていく。自分が「いる」ということがたまらなく気持ちいい。(p166)


「あたし」の幻聴が消え、この心境に達したとき、旅は終わりの予告である。
文体の速度・強度・迫力が読む者を一気に絲山ワールドへ引き込む。


絲山秋子さん!書かれたテクストからは、絶好調とみた。
映画化して欲しい作品だ。読みながら、二人のかけあいの映像をイメージしてみるのもひとつの読み方だろう。


傷口にはウォッカ

傷口にはウォッカ


同年生まれ(1966年)の芥川賞作家・大道珠貴『傷口にはウオッカ』(講談社)。
タイトルに惹かれて読んでみたが、「わたし」の世界があまりに弛緩している。ぬるいのだ。薄い本ながら読了するのに苦痛が伴った。世界と「わたし」に緊張感が感じられない。この差異は何だろうか。芥川賞候補が3回いずれも落選という経験が絲山氏の場合、プラスに働いていると思われる。


とまれ、絲山秋子は、当分、目が離せない作家だ。


袋小路の男

袋小路の男


まずは、『袋小路の男』に本屋大賞を!