『噂の眞相』25年戦記
- 作者: 岡留安則
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2005/01/14
- メディア: 新書
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岡留安則『『噂の眞相』25年戦記』(集英社新書)は、反骨のジャーナリストが、雑誌発行を自己の信念にもとづき創刊し、継続させ黒字でありながらも休刊にいたるまでの「眞相」経過を綴った好著である。
岡留氏は現在沖縄、那覇市に在住している。本ブログの昨日からの「沖縄つながり」ということで、『噂の眞相』イズムについて触れたい。
メディアにおけるタブーとは皇室問題と、作家・文化人批判であると岡留氏は言う。
メディア内の自己規制が、これらの問題の本質を隠蔽している。右翼からの攻撃や、官憲の監視、また、雑誌に取り上げた著名人からの各種攻撃を受けながらも、25年間、『文藝春秋』につぐ発行部数を誇る『噂の眞相』を、引っ張ってきた男・岡留安則の半生記でもある。
岡留氏『噂の眞相』編集長としての経験から得られたことは、以下の引用にまとめられる。
体験者としていえば、現実の司法は検察と裁判所が一体化して国家権力の威信とメンツを相互に補完しあい、ただただ自分たちの権益を守っているだけの存在にしか見えないのが現実なのだ。(p103)
むろん、日本の憲法におい言論・表現の自由は明文化されているものの、公的存在の代表格である政治家に関してもメディア側にすべての立証責任を負わせたり、プライバシーの範囲を広義に解釈したり、裁判所じたいの政治家へのすり寄り傾向が見られる。
戦後、自民党型の保守政権が長期にわたって連綿と続いたことで、司法、立法、行政の三権分立が馴れ合いの構図をつくり、この権力のトライアングルが相互に独立して機能するということがいつしか形骸化されてきた結果ともいえる。(p128)
一連のメディアを取り巻く表現規制のジワジワとした進行ぶりは凄まじい限りである。有事法制やイラクへの自衛隊派兵といったアメリカとの軍事同盟を指向する国家主義の台頭と連動したメディア統制・規制の動きであることは、キチンとみておく必要があるだろう。メディアに対する言論・表現の規制が強まる時、時代は確実に国家主義という名の、市民の自由をも規制していくメルクマールなのである。(p135)
岡留氏の経験から、個人情報保護法とは、「政治家スキャンダル」防止法であり、この法律が2005年4月に施行されると、『噂の眞相』の存立基盤がなくなることになる。
あらかじめ休刊を予告していたが、まさしく国家的な規模で個人情報規制がなされるとすれば、もはや休刊するしかない、と昨年2004年3月に休刊号と休刊記念別冊*1が発行され、岡留氏は自らスキャンダリズム活動を一旦休止としたわけだ。
そして、沖縄の地から、岡留安則は、本書の「あとがき」に記す。
何しろ沖縄には外務省から派遣された大使が常駐している非日本なのだ。
・・・(中略)・・・
休刊後の休息の場として選んだ沖縄が日米関係の機軸を支えるための矛盾が集約された米軍基地の島だったということは、筆者にとって幸か不幸か、その答えはいずれはっきりするに違いない。沖縄の熱い太陽、美しすぎるマリンブルーの珊瑚礁の海、音楽や食生活に見る独自の琉球文化の裏側に、厳然と横たわっている米軍基地という存在がある限り、単なる癒しの島や楽園ではありえないからだ。(p251−252)
沖縄に住み、東京のジャーナリズムの視野から外れる沖縄という場所から、いずれ岡留的『噂の眞相』イズムが、新しい形で出現することが予見される。
岡留氏が鋭く指摘する「個人情報保護法」の目的が、政治家のスキャンダル情報に関する表現規制にあることは確かだ。わたしたち個人個人にかかわるこの法律が、どのように国民に圧力をかけてくるか、見極めなければなるまい。とりわけ、ジャーナリズムに与える打撃は大きい。そのことを、本当にメディア界の人々は判っているのだろうか。
企業では、この法律の施行対策に追われている。はたしてそのような認識でいいのか。
■個人情報保護法を確認しよう。
*1:『追悼 噂の眞相』に「最後のメッセージ」として寄稿したひと:家田荘子、島田雅彦、中村うさぎ、筑紫哲也、デーブ・スペクター、姜尚中、香山リカ、宮台真司、岩井志麻子、田原総一朗、本田靖春、野坂昭如、清水英夫、宮崎哲弥、高見恭子、ピーコ、おすぎ、日下雄一、田中康夫、上野千鶴子、草野仁、椎名誠、小池真理子、末永直海、坪内祐三、矢崎泰久、よしもとばなな、渡辺淳一、倉田真由美、テリー伊藤、戸井十月、弘中惇一郎、内藤陳、芳水克彦、足立倫行、川村晃司、小田嶋隆、木村三浩、末井昭、鈴木邦男、山藤章二、高須基仁、石丸元章、前田忠明、岩田薫、北方謙三、呉智英、見城徹、花田紀凱、宮崎学、最後の連載:高橋春夫、佐高信、筒井康隆、斎藤美奈子