国家を超えた思想 伊波普猷


伊波普猷―国家を超えた思想

伊波普猷―国家を超えた思想


西銘圭蔵『国家を超えた思想 伊波普猷』(ウィンかもがわ)を、id:tatar氏の薦めにより読む。偶然というか、不思議な縁というべきか、本日(2005年2月26日)付け朝日新聞の「be」の「ことばの人」で「伊波普猷」の特集が組まれていた。


「深く掘れ 己の胸中の泉 余所たよて 水や汲まぬごとに(伊波普猷)」の見出し。


西銘氏の著書の引用文献に、安良城盛昭『新・沖縄史論』(沖縄タイムス社、1980)がない。安良城盛昭(あらき もりあき)は、かつて網野善彦『無縁・公界・楽』を徹底的に批判した沖縄出身の歴史学者であり、「太閤検地革命論」で斯界では著名な人物である。安良城氏の批判にたいして、網野氏は、『増補 無縁・公界・楽』(平凡社ライブラリー


無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)

無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)


の膨大な補注において、過剰とも思える批判攻撃に対して丁寧な弁明を記している。


日本とは何か 日本の歴史〈00〉

日本とは何か 日本の歴史〈00〉


そして、網野善彦『「日本」とはなにか』(講談社、2000)の第二章「アジア大陸東辺の懸け橋」において、安良城氏『新・沖縄史論』の書名のみ引用している。また、巻末の参考文献にも挙げている。


東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)

東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)


『東と西の語る日本の歴史』(講談社学術文庫)で

沖縄人には「東京に住む以上に<日本が良く見える>」といって『新・沖縄史論』(1980、沖縄タイムス社)をまとめた安良城盛昭氏、・・・(p27)


と引用している。しかし、『新・沖縄史論』の内容への言及は避けている。これはなぜだろうか?どう考えても、安良城盛昭に対する形式的な儀礼以上のものではないのではないか。硬直したマルクス主義者=安良城盛昭への理論的な叩頭ではないだろう。


安良城盛昭は、『新・沖縄史論』の「進貢貿易の特質」で、伊波普猷の「唐一倍」説批判を展開している。


近世の琉球王府は、進貢貿易で「唐一倍」によって儲かったが、その利益は島津藩に搾取されたというのが一般であるが、安良城氏は史料『南聘紀考』と『列朝制度』から、「唐一倍」の論拠はないと伊波普猷説を批判している。唐から銀を「もってきた」のではなく、唐へ銀を「もっていった」のだと。首里王府は赤字貿易だったと言うのだ。


しかし、首里王府が敢えて、赤字になってまで、唐と貿易したであろうか。『新・沖縄史論』の121頁から129頁までが、伊波普猷の「唐一倍」説批判になっている。ここは、専門家の意見を聴きたいところであるが、安良城氏の伊波普猷批判は、網野善彦批判と同じ構造を持つのではないか、というのが私の推測である。


戦後沖縄における史料収集状況は本土とはまったく異なる。1845年の沖縄戦によって伊波普猷が中心となって収集した県立図書館の史料が灰燼に帰した。従って、伊波普猷の研究環境と戦後の安良城盛昭の眼にすることができる史料には圧倒的な差異があることを視野に入れなければならない。戦後、国際的規模で琉球・沖縄の史料収集が行われていることは、専門家であれば知らないはずがない。残された文書の一文字*1の読解に誤りがあったとしても、広く長期的な史観が要請される沖縄史では、古文書至上主義は木をみて森をみない狭隘な世界しか視えないという陥穽におちいる可能性が大きいのだ。


もちろん、西銘圭蔵『国家を超えた思想 伊波普猷』は、安良城盛昭の著書など無視している。私は、安良城盛昭の細部にこだわる批判のための批判よりも、伊波普猷

地球上で帝国主義が終わりを告げる時、沖縄人は「にが世」から解放されて「あま世」を楽しみ十分に個性を生かして、世界の文化に貢献することができる。(伊波普猷『沖縄歴史物語』)


を信頼する。また、西銘圭蔵が『国家を超えた思想 伊波普猷』でいう

伊波の軌跡が示すのは、歴史が人間に影響を与え、人間が歴史を如何に捉え、その時代をいきていくかという、一個の人間と歴史のダイナミックな関係である。一個の人間の懊悩は時代の桎梏であり、一個の人間の思想は時代の刻印である。・・・(中略)・・・彼の思想の営為の意味は、琉球・沖縄を掘ることで長大な人類史理解の一端を掘ったことにある。
(p51)


に全面的に賛同したい。

今、沖縄は癒しの島と言われる。しかし、高失業率や全国一の低所得など沖縄を取り巻く状況は厳しいものがある。また、広大な米軍基地がおかれ、米兵の犯罪による県民の基本的人権の蹂躙など沖縄県民が呻吟する状況は、伊波の時代とそれほど変わるわけでない。
(p100)


西銘氏のこのことばは、本土に住むわれわれにはきわめて重い。



三色スミレの成長日記 沖縄学と伊波普猷

*1:安良城氏は「齎」を「もってゆく」と正解せず「もってくる」と誤読したと指摘する。