透光の樹


透光の樹 (文春文庫)  
原作:高樹のぶ子


根岸吉太郎6年振りの新作『透光の樹』(2004)は大人の純愛映画になっている。今、純愛あるいは恋愛映画ブームといわれるが、『海猫』につらなる大人の恋愛映画の決定版として、『透光の樹』を評価したい。


秋吉久美子と永島敏行。この二人のように、大人というか中年の役者さんを主役とした恋愛映画は、決して多くはない。現在の映画制作環境からいえば、マーケット市場も広くはない。根岸吉太郎は、日活ロマンポルノ出身の監督であるが故に、二人の絡みのシーンの撮り方が巧い。


千桐(秋吉久美子)と郷(永島敏行)の出会いは偶然であるが、25年前に郷は千桐の父(高橋昌也)の取材の時に出あっていた。鍛冶師の名匠であった父は、痴呆症になっている。千桐の借金を背負った生活を助けたいと思った郷が提案したのが、経済援助であった。いわば金銭から始まる男女関係が、その呪縛から解放されることによって、単なる恋愛というより純愛に高まって行く。


郷は、テレビ製作会社の経営者であり、現場をも指導する仕事人間。人生の大半をフィルム製作に賭けてきた。その過程で、女性との関係も多く経験し、人生の半ばにして、自分の行く先も見えてくる年齢。一方の千桐は、娘を抱えて離婚し実家に帰り、痴呆の父の面倒を見ている、生活者の典型である。


一見、ヤクザなTV業界人間に見える郷には、25年前の鍛冶師取材の際、高校生だった千桐のセーラー服姿の写真を撮っており、ピンボケになっているため、本人へは送付していなかった。純粋な部分を根底に持っている男。この記憶が、偶然を装いながらも、出会いの必然性を導いている。男女が惹かれて行く状況の設定は、文学的な装置によるものであるが、若い頃の異性を求めあうというような無軌道な激しさはない。淡々と二人の愛は始まるのだが、次第にぬきさしならない状況になる。


二人は二度目に金沢のホテルで出会い、郷がタクシーに乗ると、千桐は走って車を追いかかけるシーンがある。この何気ないシーンが、実は女性が男性を引き込む契機となる光景でもあり、重要な位置にあることに気づくのは、画面の外からである。


千桐と郷を演じる秋吉久美子と永島敏行の存在が中年世代の生活を背負いながらも、そこに満たされない何かを感じていて、二人の結びつきによって何が人生にとって大切なものであるかが、露呈してくる。癌に侵されていることが判明した郷は、手術して少し長生きすることよりも、千桐との愛を優先することを選択する。


大人の肉体的な関係の映像的表現は、ややもすれば醜悪に写りかねない。それが、官能的表現に昇華され、死が見えてくることで、より美しさが深まる。全裸で絡む二人は頭文字のCとGを構成した耽美的な芸術表現の極北。女性への優しい愛撫の表現がラブシーンの随所で反復される。男女の恋愛のパターンの理想的なかたちかも知れない。


二人が最後に逢引するシークェンスの流れはあまりにも見事なできばえになっていて、ローカル電車での別れの会話とその表情は、観る者に感涙をもたらす。性と生は、深く結びついている。だからこそ、二人の事実上の別離となる電車のシーンは切なく、いとおしい。多分、このような関係に同化できる年齢というものがあるのだと思う。


千桐の父が作った小刀が、作品中の小道具として大きな意味を持つ。郷に渡っていた小刀が、千桐のもとへ帰ってくるときは、郷の存在は二人が最初に出会った六郎杉に小刀で彫られた「G」に残されていることを、千桐が発見ときでもある。それから、15年後が現在、娘には孫がいる。老いてなお、色気を持つ千桐は、自分の肉体の半分は郷のもであることを確認している。その姿に哀切を感じられるかどうか。そこが、愛と死の本質的な関係が「わかる」分岐点であろう。


若者向けの『世界の中心で、愛をさけぶ』や『いま、会いにゆきます』のような恋愛映画が大ヒットするなかで、『透光の樹』は大人の純愛映画として貴重なフィルムであり、今年第一の恋愛映画といっておきたい。


根岸吉太郎は、『永遠の1/2』(1987)以来の傑作であり、永島敏行は『サード』(1978)『遠雷』(1981)に並ぶ久々の好演で、降板した萩原健一では、純愛映画にはなり得なかった。秋吉久美子は名状しがたい美しさで、蠱惑的な魅力に溢れている。彼女の最高傑作といっても過言ではない出来だ。

【恋愛】特定の異性に対して他のすべてを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえらえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。
【純愛】一身を犠牲にすることをもいとわない、ひたむきな愛情。
『新明解国語辞典 第六版』(三省堂、2005.1)より

『透光の樹』の公式ホームページ
http://www.cqn.co.jp/toukounoki/index.html


根岸吉太郎の代表作

遠雷 [DVD]

遠雷 [DVD]

探偵物語 [DVD]

探偵物語 [DVD]

絆 [DVD]

絆 [DVD]