日本近代文学の起源


定本 柄谷行人集〈1〉日本近代文学の起源 増補改訂版

定本 柄谷行人集〈1〉日本近代文学の起源 増補改訂版


岩波書店から刊行されている『定本柄谷行人集』全5巻が完結した。第5回配本は、増補改定版『日本近代文学の起源』。

 
柄谷氏の『日本近代文学の起源』は、1980年初版、その後、英語版、ドイツ語版、韓国語版、中国語版が刊行された。英語版のときに増補した「ジャンルの消滅」に、外国語版の「序文」と本文の改稿、それに註を付した決定版というべきもの。
 

日本近代文学史ではなく、あくまで<日本近代文学の起源>について言及した批評であり、基本的なスタンスは変わっていないが、内容はより明晰になっている。絵画を比喩的な鏡として用いたことが、近代と近代以前を明確に区別する基準を容易にしている。「近代」ということばが、西欧からの輸入した言葉であることはひとまず置いて。


西洋の中世絵画がすべて宗教画であったと同様に、日本の山水画は風景画ではなく一定のルールに従った「宗教画」のようなものであった。文学における「内面」「児童」などの発見も、「風景の発見」と同様の手法で解明される。日本近代文学の起源は明治二十年代である。

明治国家が「近代国家」として確立されるのは、やっと明治二十年代に入ってからである。「近代国家」は、中心化による同質化としてはじめて成立する。むろんこれは体制の側から形成された。重要なのは、それと同じ時期に、いわば反体制の側から「主体」あるいは「内面」が形成されたことであり、それらの相互浸透がはじまったことである。
・・・(中略)・・・
「国家」に就く者と「内面」に就く者は互いに補完しあうものでしかない。明治二十年代における「国家」および「内面」の成立は、西洋世界の圧倒的な支配下において不可避的であった。われわれはそれを批判することはできない。批判すべきなのは、そのような転倒の所産を自明とする今日の思考である。(p129)


柄谷氏独特のアイロニカルな言説によって、「近代」の両義性が浮かびあがる。文学に限定すれば、制度としての「文学」の歴史性がみきわめられねばならない、と氏は言う。今日の目から、文学史を見ることに誤謬が介在することを、20年前に柄谷氏は指摘していたのだ。この慧眼は、その後の柄谷氏が『トランスクリティークーカントとマルクスー』にたどり着くことを予見していたというべきであろう。


定本 柄谷行人集〈3〉トランスクリティーク―カントとマルクス

定本 柄谷行人集〈3〉トランスクリティーク―カントとマルクス