坂口安吾論

柄谷行人が、『坂口安吾全集』(筑摩書房,1998−2012)の「月報」に「坂口安吾について」を連載していた。月報連載分を第一章として、個別論文を第二章、第三章が全集関連ものを収録したのが、『坂口安吾論』(インスクリプト,2017)である。


坂口安吾論

坂口安吾論


主に、「日本文化私観」と「イノチガケ」を引用しながら、安吾アナクロニズム的な存在を浮上させている。


坂口安吾全集〈04〉

坂口安吾全集〈04〉


筑摩書房版『坂口安吾全集』は所蔵しているものの、書架にたどり着けない状態であり、青空文庫で読む。皮肉なことだ。かつて冬樹社版の『定本坂口安吾全集』を、その装幀の良さから古書で購入したいと我慢を重ねたあげく、編集者の関口光男が、筑摩書房版では、柄谷行人と組み、執筆の編年順配列にするという画期的な全集になることを知り、購入した。


定本坂口安吾全集〈第1巻〉 (1968年)

定本坂口安吾全集〈第1巻〉 (1968年)


たしかに、安吾の作品は、ジャンル別に編纂しても、あまり意味がない。なにしろ、文体は小説・エッセイ・伝記等、すべて同じ文体で書かれている。

坂口安吾の作品については、すでに「坂口安吾デジタルミュージアム」がウェブ上に開設されていて、こちらを参照していだだければ、作品論など小生の見解など、書く意義を見いだせない。


ここでは、全集刊行時に「月報」に連載された「坂口安吾論」が一冊の書物になったことを寿ぎたい。それだけである。

太宰よりも安吾、と言うのが私の好みだ。

それより、柄谷行人さえ、「日本文化私観」が戦後に書かれたと思い込んでいたことに、首肯するしかないという感覚。

時代に寄り添うという姿勢が安吾には視えないことが良い。

「イノチガケ」は1940(昭和15)年に発表されている。「日本文化私観」は、1942(昭和17)年発表である。戦後無頼派と称された安吾は、戦前・戦中から作家であった。

安吾には「崇高」(サブライム)傾向があり、美の基準を「崇高」(不快を通して得られる快)に置いていたようだ。そこを柄谷行人は見抜いている。



坂口安吾デジタルミュージアム」に掲載された「年譜」は、4つに別れ、安吾の祖父母の世代を前史として、文壇で出る前、文壇デビュー後戦前、戦後から没年までと詳細に記録されている。


小生の気にかかる作品を文庫で挙げれば、以下のとおりとなる。

堕落論」「日本文化私観」「白痴」「桜の森の満開の下」「二十一」以下の自伝的青春作品、「不連続殺人事件」など多数。

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)

桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫)

桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫)

不連続殺人事件 (角川文庫)

不連続殺人事件 (角川文庫)

風と光と二十の私と・いずこへ 他十六篇 (岩波文庫)

風と光と二十の私と・いずこへ 他十六篇 (岩波文庫)

肝臓先生 (角川文庫)

肝臓先生 (角川文庫)