加藤周一


夕陽妄語 7

夕陽妄語 7


加藤周一氏は、「朝日新聞」で月1回連載している『夕陽妄語』は、既に、7冊分が単行本化されている。今月は、2冊の詩集についての論説。一冊は『ペトラルカ詩集』の英訳本、もう一冊は『井伏鱒二全詩集』(岩波文庫)。


井伏鱒二全詩集 (岩波文庫)

井伏鱒二全詩集 (岩波文庫)


今日、知の巨人の呼称に値するのは、加藤周一氏くらいしかいない。医学・文学・芸術・政治・経済等、あらゆる分野に精通し、真のグロ−バル評論家である。ゆえに、毎月の「夕陽妄語」は、日本最後の知識人の言説として、きわめて大切なことに言及している。


夏の暑さ、寒さの異常からはじまり、ペトラルカにおける「真夏に震え、冬に燃える」のように正反対な概念または事象を結びつける修辞法=撞着語法とのかかわりで、弁証法的思考が、イタリアや英語圏に顕著であるが、それが、中国や日本ではどうか。


そこで、『井伏鱒二全詩集』に話を結びつける。

詩人井伏鱒二は遠い世界の出来事、一般市民の頭上高く吹き荒れるもの、政治権力や「朕の陸海軍」や原爆の「黒い雨」を、つかみ取り、手もとに引きよせ、彼自身の日常の身辺に置いて観察した。
・・・(中略)・・・
井伏が公的な世界を私的空間にひきつける運動は、ほとんど常に、私的空間を公的空間に向かって開くことを排除しない、・・・というよりも、相反するニ項の間には往復運動があり、その往復運動こそは、井伏流弁証法ジンテーゼをめざすのである。


そして、「魚拓」という詩から引用して「戦争が何であるかこれによってわかる」と結ぶ。

明日は五郎作宅では息子の法事
長男戦死 次男戦死 三男戦死
これをまとめて供養する
(p67)


加藤周一氏の読みは鋭く、「夏休み、二つの詩集」と題して、ペトラルカの修辞法から始めて弁証法へ話を進め、井伏の詩は、弁証法の頂点ジンテーゼを目指すという。


井伏の詩の中には、「訳詩」という独特のスタイルのものがあり、中国の「勧酒」から

コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ(p59)


この詩がそのまま、川島雄三の映画『貸間あり』の送別会で、乙羽信子桂小金治が、送る言葉として、フランキー堺訳の巻紙で、「さよならだけが人生だ」を二回繰り返す。川島の映画には井伏の誤解があり、井伏の作品から、映画そのものは猥雑な雰囲気に変容していることはたしかだ。その混乱ぶりが川島雄三の持ち味なのだ。今日では、川島雄三といえば「さよならだけが人生だ」が、代名詞になっていることを思えば、不思議な因縁といえよう。


まあ、いずれにせよ、加藤周一氏の8月の「夕陽妄語」から、対立語の修辞法から弁証法へ、そして、それを読む私には、川島雄三を連想させるわけだから、毎回読み応え十分な内容となっている。加藤氏が知の巨人たる所以である。