俵万智


トリアングル

トリアングル


俵万智さんの『トリアングル』(中央公論新社)を読了した。初の長編小説で、しかも、著者の短歌が要所要所に挿入されている。万智ファンにとってこの上ないプレゼント。


実生活を、そのまま小説化した趣があり、フリーライターの薫里は、妻子あるMと8年間不倫の恋愛関係にありながら、7歳年下のフリーター圭ちゃんとも恋愛関係になる。恋愛小説の古典的形式、すなわち三角関係を描くことで、物語にふくらみを持たせている。


恋愛から結婚に発展し、めでたしめでたしというのが、普通の幸福パターン。でも、薫里にとっての恋愛とは、即=結婚に結びつかないと考えている。Mは、この8年間で薫里に恋愛についてのあらゆる幸せをもたらす理想の男性であった。Mの家庭生活的な面倒を見る必要がないし、Mの妻には絶対知られていない。得るところはあっても、失うものは何もない、すこぶる良い関係を保つことができた。


薫里は、実家に帰れば、両親と弟夫婦に会う。家族的な環境としてはめぐまれている。自分では、結婚という形での家庭を持ちたくない、しかし、子供は欲しい。ラスト近くでMとの間に子供をもうけることになるだろうことが暗示されている。実際、俵万智さんは、現実にシングルマザーとして、子育てをしているし、結婚をする予定はなさそうだ。万智さんは、強い女性だ。男を見る眼も自分の確固たる基準がある。


いってみれば、自らの快楽に忠実であろうとする態度。かつては、男の特権的世界であったが、自立する女性にとって、対等あるいはそれ以上の位相から男を見ている。「結婚」という制度自体を否定していないが、自分は諸々生活の煩わしさを回避したいという考えである。いいとか悪いとかの判断の問題ではない。どのように生きるか、生き方の選択肢のひとつとして、実践しているわけだ。

これは食べるための仕事、これは生きがいとしての仕事、と明確な線引きができるわけでもない。結局は、必要とされる自分と、表現したい自分との、折り合いをどうつけていくかなのだ。(p100)


この文章のみが、仕事について誰にでもあてはまることだろう。


しかし、私小説としてみても、短歌がなければ、自己中心的な私生活をさらけ出しているだけとも云えよう。男性を見る眼は、徹底してクールに男を判断しているし、ここまで、冷静に分析されると醒めてしまう。自己の世界の相対化は、かろうじて短歌においてバランスが保たれている。


一見、新しい女性に見えるけれど、シングルで、恋愛至上主義者で、しかも、子供を持つ女性は、昔から少数ではあると思うけれど、いたはずだ。『トリアングル』に、小説の新しさは、率直にいってみられない。ひとつ間違えば、嫌味な作品になりかねない。
そこに至っていないところは、やはり「短歌」の普遍性に負うところが大きいと思う。


愛する源氏物語

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