平和と平等をあきらめない


1945年8月9日は、長崎に原爆が投下された日。8月6日の広島のときに、原爆文学として作品の一部を列挙した。映画としては、黒澤明の『八月の狂詩曲(ラプソディ)』(1991)と、黒木和雄『TOMORROW 明日』(1988)が長崎を舞台にしている。黒澤明は、反核的なイメージを訴えていた。原作は村田喜代子『鍋の中』(1987)。


平和と平等をあきらめない

平和と平等をあきらめない



ここで唐突に、高橋哲哉斎藤貴男『平和と平等をあきらめない』(晶文社 2004.6)に触れたい。デリダやカントの哲学者・高橋哲哉氏と、経済ジャーナリスト斎藤貴男氏の対談は、通常ではまず考えられない組み合わせだ。ポスト団塊世代の二人が、「平和」と「平等」について語らなければならない時代になってしまったということだ。


それは、なし崩し的に「戦争」と「差別」の時代になっている現状を憂うと同時に、行動を起こさなければならないほど、ひどい時代になっているという認識からきている。「戦争は究極の差別表現」という斎藤氏のことばは、まさしく、戦前・戦中の様相を呈しているこの国の実態をあらわしている。


うーん、それにしても、読書と映画と音楽に癒しを求めていることに、現実逃避と批判されてもやむをえないと思えてきた。


いやな渡世だなぁ!


高橋哲哉辺見庸の対談

私たちはどのような時代に生きているのか

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デリダ

デリダ (「現代思想の冒険者たち」Select)

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