マノエル・ド・オリヴェイラを追悼する
2015年4月2日、ポルトガル映画の巨匠マノエル・ド・オリヴェイラ(1908〜2015)が、106歳で他界されたとの報道があった。特に80歳を超えてから毎年一本の映画を撮り続け、100歳を超えてなお映画を撮ってきた。
最後に観た『家族の灯り』(2012)は、ジャンヌ・モロー、クラウディア・カルディナーレが出演している。失踪した息子を待つ家族を、演劇的空間の中で静謐に描いた家族の物語であった。
追悼の意味で、2003年に記録したオリヴェイラに関する映画感想を採録する。
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〜比類なきポルトガル映画の豊饒さ〜
【遅れて来た巨匠オリヴェイラ】
映画百年の歴史は、様々な語り口で記述されるであろうし、二十世紀は、映画の百年であったと記録されもするだろう。けれども、九十年代半ばになって、わが国に初めて紹介されたマノエル・ド・オリヴェイラは、遅れてきた巨匠として、その評価が、二十一世紀へ引き継がれている作家である。オリヴェイラとは、如何なる監督か、敢えて定義付けをすれば、作品によってスタイルが変容する、どのような範疇にも属さない、これまでのどの映画にも似ていない、いわば比類なきシネアストと言えよう。
私達は、『アブラハム渓谷』が、一九九四年に公開されて、この偉大なポルトガル人の存在を知らされたわけで、驚くべきことに、オリヴェイラは一九〇八年生まれ、今年(2003年)九十五歳になる現役作家なのであり、八十歳からほぼ毎年一本づつ映画を撮り続け今なお精力的に作品を送り出している。
【究極の愛、至上の映画】
<挫折した愛>の四部作と呼ばれる作品の第一作『過去と現在』は、死亡した夫にしか愛を持てない女性をめぐるシニカルな愛の反復として、流麗なキャメラの移動で描くもの。四部作の最終編『フランシスカ』は、十九世紀の半ば、貴族とその友人である作家の二人に玩弄されるイギリス人女性の悲劇。シークェンスの間を字幕でつなぎ、ほとんどがフィックスで撮られ、陰影に富んだ画面は絵画のような印象を与える。貴族と駈け落ちし結婚はしたものの、フランシスカは処女のまま病死する。究極の愛を求めるが故に挫折せざるを得ない人たち。
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『アブラハム渓谷』は、「ボヴァリー夫人」の翻案をもとにしているが、究極の愛を求め彷徨する女性エマを、『フランシスカ』の裏返された世界と見做すことができよう。映像のスタイルは、踏襲され、時代は現代に移し換えられている。濃密な映像空間、色彩設計、プロット、月光を中心とする音楽、そして何よりも、エマを演じる二人の女優(レオノール・シルヴェイラとセシル・サンス・デ・アルバ)の官能的なまでの存在感によってオリヴェイラの最高傑作となっている。ロングショットの風景、正面から捉える人物像、鏡の効果的な多用など、緩慢なリズムのなかに、移りゆく時間を感じさせないフォルムの造形は、完璧なる美学にまで昇華されている。この作品では、ナレーションが字幕の役割を果しており、医者の夫(ルイス=ミゲル・シントラ)や、彼女を取り巻く男たちの凡庸さと俗物ぶりが際立っており、エマの悲劇性がより鮮明に浮かびあがってくる。
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【作品に即したスタイルの選択】
『新曲』では、ホテルのような豪華な精神病院を舞台に、アダムとイヴ、キリスト、ニーチェを崇拝する哲学者、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』の登場人物たちを演じながら、宗教の本質に迫る議論が、あたかもコラージュ風の引用で綴られる。ラストで唐突に差し出されるカチンコによって、虚構としての演劇的フィルムが閉じられる、一種のメタ映画になっている。
『カニバイシュ』は新趣向のオペラ映画。舞踏会や婚礼の祝宴など、ろうそくの光のみで撮られた夜のシーンが続き、荘重な雰囲気がただよっている。悲劇から始まって、ラスト近く明るい日差しのなか、唐突にオペラ・ブッファに転調する。「人生は血まみれの冗談」であるからこそ、悲劇に対して、ユーモア溢れる喜劇として大団円で幕を閉じる仕掛けの奇抜さに快哉を叫びたくなる。
『階段通りの人々』は、リスボン下町の庶民たちの日常を、階段という通路を舞台に見立てて、人物の出入りによって、閉鎖的な演劇的空間の狭さを逆手にとる手法。盲目の老人が持つ特権的な箱が盗まれることから、はすっぱな娘を聖女に変身させてしまう奇跡は劇中の白眉。このように作品の主題によって、映像のスタイルや演出が、全く異なるのがオリヴェイラ的世界の特質なのである。
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【テクストの多義性】
「ファウスト」から着想した『メフィストの誘い』は、寓意的なフィルムとして、見る者を宙吊りにし、観客を混乱させてしまう。シェイクスピア研究者夫妻が、山中の修道院を訪れ、そこの管理者と、女性研究員の四人による、錯綜した誘惑のゲームが展開される。管理人がメフィストの役回りであるけれど、教授には永遠の生が得られると囁き、一方で妻を誘惑するが逆に翻弄されてしまう。教授の妻を、カトリーヌ・ドヌーヴが演じ、その肉感的な存在に圧倒される。解釈の多義性をテクストとして提示された私達は、明らかにオリヴェイラの術中にはまっていることに気づく。
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『世界の始まりへの旅』は、サウダーデ=郷愁を帯びたルーツ探しのロード・ムービーの装いを持つ。監督自身を演じたマストルヤンニは、深い味わいと余韻を感じさせ、彼の俳優人生を締めくくる遺作となった。冒頭に引用されるニーチェの言葉「おのれのカオスの主人となれ」はペドロ・マカオの伝説「誰も救いに来ない」と見事に符合し、テーマを指し示している。過去を探し求める旅は、世界の始まりを感じつつ終えられる。
ところで、長編第一作『アニキ・ボボ』が、子供たちを小津安二郎風のユーモアに満ちた、ネオレアリスムを先取りした新鮮なスタイルであったことを想起したい。つまり、オリヴェイラは、サイレント・フィルムのドキュメンタリー『ドウロ河』で出発し、ネオレアリスムの先駆者であり、一作毎にそのスタイルを実験的に変容し続けた、映画の歴史そのものと言っても過言ではない。
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換言すれば、オリヴェイラ作品は映画的誘惑に満ちたシネフィル的分析や、フェミニズムからの見方、更に、アフリカ植民地戦争の中で兵士たちの回想譚としてポルトガルの歴史が辛辣に点描される『ノン、あるいは支配の虚しい栄光』などは、一種反戦映画としての分析が可能なように、優れて豊饒な映画=テクストの集合になっている。
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【継続することの力学=美学】
『クレーヴの奥方』は、古典的名作を現代に移し変えた設定で、古風な主題に現代的解釈を加えたフィルムになっている。クレーヴ伯に見初められて、彼の奥方となったカトリーヌ(キアラ・マストロヤンニ=ドヌーヴとマストロヤンニの娘)は、サングラスのロック歌手のペドロ(本人が演じている!)と出会い、激しい恋に落ちる。そのため、夫を病死させてしまうことになる。未亡人となったカトリーヌには、もはや何の障害もないようにみえる。しかしながら、カトリーヌは自分を愛した夫に貞淑をつくし、ペドロの前から姿を消す。およそ現代では、寓話としか思えない設定だが、あえてこのラファイエット夫人の原作を映像化した狙いは、心情=哲学としての恋愛であり、心の問題に焦点を当てたと解釈できるのだ。この時代錯誤な主題の選択の仕方にも、オリヴェイラの面目躍如たるところが表れている。
最新作の『家路』は、イヨネスコ作『瀕死の王』公演の最中に妻と娘と娘婿の三人を失った老優ヴァランス(ミッシル・ピッコリ:好演)が、残された孫を引き取ることになる。老優は孫との穏やかな日常生活と、一方舞台で演じる『テンペスト』の役柄への一体化に自信を示す余裕がある。ところが、ジョン・マルコヴィッチが映画監督である『ユリシーズ』の中の代役を依頼され、現場に赴き、鏡に向かってメイクがなされてゆくと、そこに全くの別の人物が自分を見つめている。その違和感にたえられず、老優は「私は家へ帰る、休みたい」と、撮影現場から去り、よろよろとした足取りで家の階段を登って行く。一見、老優の老いと死を目前にした心境作品に思える。ところが、この舞台劇と日常生活のシンプルな構成の中に、演じることと撮影すること、すなわち映画の本質が隠されている。冒頭の『瀕死の王』で、カトリーヌ・ドヌーヴ演じる后が、老いた王に「誰もうつらない鏡をみなさい」という台詞がある。これが、ラスト近くのメイク用の鏡で自分が変容するシーンを導き出す。幾重にも伏線が仕掛けられた作品であり、オリヴェイラの老獪ぶりが増幅されていることに圧倒される。
まだまだ、90歳代半ばにしてエネルギー溢れる画面を展開している。今後のオリヴェイラに、眼が離せないのは、彼のフィルムが映画そのものの行き着く先を暗示しているからなのかも知れない。恐るべき作家といわねばなるまい。こうなれば、オリヴェイラには百歳まで映画を撮り続けて欲しい!
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(以上が、2003年に記録した記事である)
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オリヴェイラは百歳を超えてなお、映画を撮り続けた作家だった。小津安二郎と同世代であったことにも驚きを禁じ得ない。80歳を超えて毎年一本以上撮っているのは、ジャン=リュック・ゴダールとクリント・イーストの二人の監督であり、彼らがオリヴェイラの106歳を更新するすることを願い、オリヴェイラの追悼としたい。合掌。
<フィルモグラフィ>
- ドウロ河 (1931)
- アニキ・ボボ(1942)
- 過去と現在 (1971)
- フランシスカ(1981)
- 繻子の靴 (1985)
- カニバイシュ(1988)
- ノン、あるいは支配の虚しい栄光(1990)
- 神曲(1991)
- アブラハム渓谷(1993)
- 階段通りの人々(1994)
- メフィストの誘い(1995)
- 世界の始まりへの旅(1997)
- 不安 (1998)
- クレーヴの奥方(1999)
- 言葉とユートピア(2000)
- 家路(2001)
- 家宝(2002)
- 永遠の語らい(2003)
- 夜顔(2006)
- コロンブス 永遠の海 (2007)
- それぞれのシネマ(2007年)※オムニバス映画、3分の短篇
- ブロンド少女は過激に美しく(2009)
- アンジェリカ(仮)(2010)
- 家族の灯り (2012)
- ポルトガル、ここに誕生す?ギマランイス歴史地区 (2012) *オムニバス
- レステルの老人 (2014)
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