図書館総合展2006


パシフィコ横浜で開催された「第8回図書館総合展」に行ってきた。11月21日(火)開催の二つのフォーラムに参加した。午前中は、「図書館の「壁」〜発展を妨げるものは何か?理想の図書館とは?」と題して、アカデミーヒルズ六本木ライブラリーの小林麻美氏がコーディネイターを務める、いわば「理想の図書館をつくるための方法」を模索する目論見であり、事例報告として「武蔵野プレイス(仮称)」と「新日比谷図書館」について報告され、既存の図書館を超える発想、これまでの枠にとらわれない「理想の図書館」を目指す試みについて、論じられた。


東京隣接の武蔵野市の場合は、「滞在型図書館」であり「出会いと交流」がある「武蔵野プレイス」は、武蔵境駅前という立地条件を踏まえた「市民参加型」の<理想の図書館>を目指し、図書館の「壁」である、様々な要素、予算、人材、技術、設備、時間、空間、そして何よりも「発想を転換」する「意識」改革こそ、その根底にあることが伝わってくる。このコンセプトであれば、都市一般に応用可能だ。


一方、「新日比谷図書館」は、「NPO法人知的資源イニシアティブ(Intellectual Resource Initiative:IRI)新文化施設タスクフォース」というものものしい名前の集団が、理想とする新図書館構想を打ち出している。基本コンセプトは、「従来の公立図書館の限界を越え、世界に類のない新しい公共図書館を実現する」とし、「図書館機能を核としつつも、文化芸術の創造、地域経済活性化等、従来の図書館の枠を越えた活動」を行うとする。


対象分野として、「ソーシャル・社会」をテーマとして、「社会起業」「文化芸術」「日比谷・千代田区地域」に絞る。機能としては、「図書館機能」「ミュージアム機能」「コミュニティ機能」を掲げている。


このフォーラムに参加して、発想の根底には、どうやらコーディネータ小林麻美氏の「アカデミーヒルズ六本木ライブラリー」にあるらしいと感じ取り、午後の紀田順一郎の講演「偏奇館憂情−永井荷風の愛読書−」を聴いたのち、六本木まで足を運ぶ。


摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)

摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)

摘録 断腸亭日乗〈下〉 (岩波文庫)

摘録 断腸亭日乗〈下〉 (岩波文庫)


その前に、紀田氏の講演に触れておく。この講演は大変面白く、タイトルから荷風を中心に話が展開するだろうと思いきや、『来訪者』で批判された平井呈一をきちんと評価すべきことを、資料をもとに説明される。荷風の怒りが、平井呈一のプライバシーまで暴露し、学者生命を絶ってしまったことへの問題提起がなされた。『全訳小泉八雲作品集』全12巻の刊行が平井氏の業績であり、以後のゴシック文学の紹介を中心とする業績を含めて再評価、名誉挽回を図るべきことを提言している。荷風ファンを自認する拙も、紀田氏の指摘は説得性があった。平井呈一を唯一評価した岡松和夫『断弦』(文藝春秋、1993)をAmazonのユーズドブックにて注文する。


怪談―小泉八雲怪奇短編集 (偕成社文庫)

怪談―小泉八雲怪奇短編集 (偕成社文庫)


さて、森ビル49階にある「アカデミーヒルズ六本木ライブラリー」に「ワンデーメンバー」として入館すると、東京タワーが正面に見えるカフェがあり、「ライブラリーブックストア」では、立花隆の本や、楡周平の本などが展示されている。映画本もわずかだが揃っている。問題は3,000冊の「グレートブックス・ライブラリー」。「知の世界」と銘打たれているが、どう見ても「ワールブルク文庫」の特殊な分類には及ばないし、第一専門書がない。「普通の人が読むのに難しすぎる本、専門知識がないとわからない本」は置かない方針という。


「新刊コーナー」もあるが、書店に比べて貧弱さは覆うべくもない。基本的にアーカイヴを排除し、今の状況を理解するための新刊図書中心である。貸出不可、閲覧のみ。しかも、入会金10,500円、月額9,450円は、「普通の人」には高額ではないか。ヒルズ族ならともかく。コーヒーを飲み、カフェで眺望を楽しめば、それで終わり。再訪する気になれない。


これが、本当に新しいスタイルの図書館なら、このコンセプトに違和感を覚えた。六本木ヒルズという場所のみに可能な図書館だ。ライブラリーという伝統ある言葉を用いるのではなく、フォーラムとかコミュニティが妥当ではないだろうか。


DETAIL JAPAN 8月号

DETAIL JAPAN 8月号


「ディーテイル・ジャパン」2005年8月号掲載の小林麻美「リアルなソーシャルネットワークとしてのライブラリーデザイン」によれば、

私にとってのライブラリーとは、知識交換の場として、知の共有の場として、新規イノベーションを起こすことを目的とし、他人と知識をシェアするための場であり、「情報に効果的にアクセスするシステム」が、その存在意義であると思われるのだ。(p.95)


と小林氏の図書館論が披瀝される。


もちろん、そのような図書館もあっていいだろう。建物としての図書館、空間としての図書館としては実に快適だ。書斎または仕事場として、あるいは異業種交流の場としてなら申し分ないだろう。しかしながら、「フォーラム」で感じた曖昧さ、不透明さの根底には、「六本木ライブラリー」にあるとみた。以上は、あくまで私見であることをお断りしておく。