ゴーゴリ作品

後藤明生作品からゴーゴリに関心が移る。著名な作品は一度は読んでいるが、『ゴーゴリ全集04戯曲』で「検察官」や「結婚」「芝居のはね」などを、岩波文庫講談社文芸文庫、光文社新訳古典文庫で「外套」「鼻」「ネフスキー大通り」「狂人日記」「肖像画」などを読む。


外套・鼻 (講談社文芸文庫)

外套・鼻 (講談社文芸文庫)


ドストエフスキーは「私たちはみんなゴーゴリの『外套』の中から出てきた」と『作家の日記』に書いている。


狂人日記 他二篇 (岩波文庫 赤 605-1)

狂人日記 他二篇 (岩波文庫 赤 605-1)


『外套』『鼻』『狂人日記』『肖像画』などの中篇、『検察官』『結婚』などの戯曲、岩波文庫で『死せる魂』の長編小説を読み、改めてゴーゴリの偉大さを認識した。



復刊された『イワン・イワノヴィッチとイワン・ニキーフォロウィッチとが喧嘩した話』は、全集版02に収録された『ミールゴロド』の中の一編である。田舎貴族のイワンとイワン、隣同士が裁判にまで発展する諍い。笑いを誘うような文章の運びに、いかにも「外套」「鼻」の作家であることを知らされる。岩波復刊本で読んだが、昭和3年刊行以後、改訳などを経ていないので読みにくいが、ゴーゴリ的世界の味わいは変わらない。アカーキイ・アカーキエウィッチやイワン・イワノヴィッチなど名前が、奇妙な符合を感じさせ、命名が絶妙と言えるだろう。


ゴーゴリについて語ることは難しい。通説を反復することか、あるいは新しい読みなど出来ない。とすれば何故いまゴーゴリなのか。19世紀初めのロシアを、リアリズムというより、デフォルメした形で表現していることか。


鼻/外套/査察官 (光文社古典新訳文庫)

鼻/外套/査察官 (光文社古典新訳文庫)


アカーキイ・アカーキエウィッチが外套を新調し、その外套が盗難に会うことでの経緯を、ユーモア溢れる文体で読者を巻き込む手法は、秀逸であるし、『検察官』に間違えられたフレスタコーフは、その「権力」を駆使して、有力者たちから金を巻き上げる。喜劇であると同時に、悲劇でもあり得る。


死せる魂 上 (岩波文庫 赤 605-4)

死せる魂 上 (岩波文庫 赤 605-4)

死せる魂 中 (岩波文庫 赤 605-5)

死せる魂 中 (岩波文庫 赤 605-5)

死せる魂 下 (岩波文庫 赤 605-6)

死せる魂 下 (岩波文庫 赤 605-6)


『死せる魂』のチチコフは、死亡した農奴の名簿を購入することで、蓄財できるとの法律の裏側で稼ぐために、田舎貴族達のもとを廻ることになる。名簿をもとにした詐欺は、いわば近代的な犯罪の始めであろう。滑稽な登場人物たちは、19世紀初期ロシアの農村に居たであろう人物を描写している。


ニコライ・ゴーゴリ (平凡社ライブラリー)

ニコライ・ゴーゴリ (平凡社ライブラリー)


ウラジーミル ナボコフによる評伝『ニコライ・ゴーゴリ』 (平凡社ライブラリー,1996)では、『検察官』および『死せる魂第一部』『外套』を対象にとりあげている。実際、『死せる魂』第二部は、ゴーゴリの手によって焼却されたが、辛うじて残された原稿が活字化されたもので、作品対象から除外すべきという意図には賛同する。第一部だけで十分に、ロシアの田舎風景が視えてくる。


ナボコフは、『検察官』を「ロシア語で書かれたもっとも偉大な戯曲である」と評価し、『外套』については、翻訳の問題や幽霊に言及し、「最も貴重な情報の一片、この物語の骨組みをなす主要観念が、ここでゴーゴリによって慎重に仮面をかぶせられている(なぜならあらゆる現実は仮面であるから)」と記述する。『死せる魂』における翻訳の問題とは、ロシア語から英語に移すことの困難さを自らの翻訳を示すことで、poshlostなる言葉を象徴的にとりあている。


ナボコフは、『ニコライ・ゴーゴリ』の中で、『検察官』『死せる魂』『外套』のあらすじについて触れていない。編集者は、梗概が必要であることを申し出たことに対して、巻末に「年譜」を付し対応している。


検察官―五幕の喜劇 (ロシア名作ライブラリー)

検察官―五幕の喜劇 (ロシア名作ライブラリー)


ゴーゴリ作品を読んで来たが、『検察官』が抜群に面白い。権力への追従や、金品を渡しておもねること、へつらいなど、近代貨幣社会の権力構造を視るための格好の題材を提供している。どこかで視た光景。この戯曲が現時点での<私的ベスト>になる。