クローサー


四人の男女が絡み合う、四角関係のドラマ。マイク・ニコルズ監督『クローサー』(2004)は、恋愛のほろ苦さを、皮肉たっぷりに描いてみせる。恋愛とは、所詮、「幻想」にすぎないのだ。特に近年、「恋愛至上主義」的世相となっていることへの警告ともとれる。マイク・ニコルズとは、あの『卒業』(1967)の監督。アメリカン・ニューシネマの草分け的存在。本作は、大ヒットした舞台劇の映画化である。ところが、どうも映画の評判はよくないようだ。(以下、ネタバレあり)


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恋の始まりの予感、次のシーンでは、恋の終わりが示される。観る者は、翻弄されるが、恋愛とは、究極のところ苦しみにほかならない、と。舞台は、ロンドン。ありふれた風景。ジュード・ロウが出勤途中で画面の手前に向かって歩いている。一方、ナタリー・ポートマンは、典型的なストリート・ファッションを身にまとった姿で、画面手前に向かって歩いている。ふっと、視線が交錯する。突然の交通事故でナタリー・ポートマンは、瞬時倒れる。病院へつきそうジュード・ロウ。二人は、たちまち、恋に落ちる。ナタリー・ポートマンは、「アリス」と名乗った。


女性カメラマン、ジュリア・ロバーツが、作家となったジュード・ロウの本のカバーに載せるポートレイトを、撮っているシーン。写真を撮る行為が、一種セックスの代理行為として暗示される。二人は、当然のごとく、恋に落ちる。ジュード・ロウと入れ替わりにスタジオに入ってきたナタリー・ポートマンの一瞬の表情を、写真に収めるジュリア・ロバーツ。この時点でのジュリア・ロバーツは成熟した大人の女性を感じさせるが、内心は激しい愛を求めていることが、のちに分かる。


ナタリー・ポートマンと同居しているジュード・ロウが、チャットで遊んでいる。男性医師のクライヴ・オーウェンを相手に自分は、女性になりすまし、医師を水族館に誘う。翌日、クライヴ・オーウェンが、水族館に出向くと、そこで偶然(必然)に出会った女性がジュリア・ロバーツ


時間が流れ、ジュリア・ロバーツの写真展で、ジュード・ロウは愛をささやき彼女を誘う。他方、クライヴ・オーウェンは、自分が被写体となっている写真を見つめるナタリー・ポートマンに話しかける。ジュード・ロウと別れたナタリー・ポートマンは、ストリッパーとして働く。そのクラブに、偶然、足を運んだクライヴ・オーウェンは、彼女を口説きはじめる。


その後、ジュリア・ロバーツと結婚していたクライヴ・オーウェンが、妻に主張先で娼婦を買ったと、素直に告白する。言葉では否定しないが、浮かない顔のジュリア・ロバーツは、実は、ジュード・ロウを深く愛していることを告げて去る。


ナタリー・ポートマンのもとに戻ったジュード・ロウも、別離を告げられ、ナタリー・ポートマンは、ニューヨークへ帰国する。パスポートの名前は、ロンドンで名乗っていた「アリス」ではなく、別名であった。


このように、四人は、それぞれの想いを相手に寄せるが、徐々に齟齬が生じて行く。恋愛の成就が、即、幸福に結びつくとは限らない。ハリウッド映画の、ボーイ・ミーツ・ガールのように、ことは単純ではない。それぞれエゴイスティックで、自己中心的に他者を求める。


恋愛映画やラヴストーリーは、単線的でハッピーエンド(あるいはその逆)に向かってひらすら突き進むわけだが、『クローサー』は、恋愛映画ではあるけれど、複線的で、心は乱れ交錯し、収束することはない。観終わっても、爽やかさだのカタルシスだのは、一切ない。むしろ、そのことがかえって、恋愛の不可能性を明示していることになり、名状しがたい余韻に浸ることができるのだ。映画のシーンを回想しながら、なぜ人は素直になれないのだろうかと、思う。あるいは、思うまま生きることが、相手をいかに傷つけているのか、自らを振りかえらざるを得ない。


最近の「恋愛ブーム」は、一体何なのだろうか。人間は一人では生きられない。しかし、最後は孤独である。このアイロニカルな関係性について、老練のマイク・ニコルズは、さあ、あなたたちの幸せとは何ですか?と問いかけている。ジュード・ロウネカマであり、クライヴ・オーウェンは変態医師、ナタリー・ポートマンは究極の嘘つき、ジュリア・ロバーツは過剰な愛に飢えている。そんな人物たちが繰り広げる、恋愛ゲーム、換言すれば、「愛の不毛」を反復しているのだ。


そういえば、粉川哲夫氏は、「シネマノート2.28」で『クローサー』を酷評していた。私はマイク・ニコルズの『クローサー』を評価する。「恋愛の不毛さ」を描いた傑作なのだ。かつて『愛の狩人』(1971)も「愛の不毛」を描いていたではないか。ジャック・ニコルソンが嫌味な人物であったとしても。同様にクライヴ・オーウェンが俗物であったとしても。


嫌味な人物といえば、『クローサー』の四人へ俳優たちの同化はかなり困難な側面があったのではないかと想像する。クライヴ・オーウェンが変態的な医師だし、ネカマジュード・ロウは確かに嫌味な人物だ。だからといって、この映画を酷評する、あるいは、観る価値がないとはいえないのが、映画の映画たるところだ。登場人物の性格は、一種の表象にほかならない。人物は魅力的でなくとも、映画はきわめて興味深い。恋愛とは「幻想」なのだ。大人の恋愛映画であり、恋愛には、始まりがあれば終わりもあることを示しているにすぎない。


もちろん、徹底して嘘をつくナタリー・ポートマンが、最高であるのは、申すまでもない。肝心のベッドシーンがないのもいいではないか。いわば、肩透かしという高等技術である。実に、面白いフィルムだった。世の中、そんなに甘くはない。マイク・ニコルズ健在とみた。


『クローサー』の公式ホームページ


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