結城信一と荒川洋治



結城信一セザンヌの山 空の細道』(講談社文庫)。


第三の新人といえば、安岡章太郎吉行淳之介小島信夫庄野潤三遠藤周作阿川弘之三浦朱門氏たちであり、戦後派、第二次戦後派に続いた戦後第三次の新人作家の総称であった。「第三の新人」というカテゴリー自体に今日では、文学史的な意味合いしか持たないだろう。


忘れられる過去

忘れられる過去


実はその「第三の新人」グループの中に結城信一という作家がいたことを、荒川洋治氏の著書『忘れられる過去』(みすず書房)で初めて知った。「ひとりで書き、ひとりでそれを見つめ、またひとりで書く」(p44)と荒川氏は紹介した。


その紹介文は、結城信一セザンヌの山 空の細道』の解説を収録したものであった。
もちろん、その文庫を買い求め、読んだ。


田舎の教員らしき主人公は、少女への憧憬を持ち続ける。どの作品においても女性は少女であり、大人に成長することはない。ロリータ・コンプレックスという手垢のついた言葉に還元してしまっては、結城氏の世界を正確に表しえないだろう。純粋な少女への憧れを、飽きることなく書き続けることは、尋常ではない。

荒川洋治氏は、文庫の解説の最終行に

結城信一は人間の強さを書いた。文学の力をしるした。


と、結城氏を絶賛している。ところが、この文章は、『忘れられる過去』に収録する際に、削除されている。たしかに奇特な作家であり、結城氏でなければこのような作品を、繰り返し反復することはなかった。結城氏は、どちらかといえば「弱者」の範疇になるだろう。従って、「人間の強さ」という表現は、適さないのかも知れない。しかし、「文学の力」をしるしたことは否定できまい。「弱者」であればこそ、可能であった、と思いたい。


結城信一氏は、三回芥川賞候補になっている。けれども、受賞することはなかった。芥川賞作家というレッテルが貼られていない分、先入観を排して読むことができる。そのことを現在の読者は、歓ぶべきだろう。