映画への不実なる誘い


映画への不実なる誘い―国籍・演出・歴史

映画への不実なる誘い―国籍・演出・歴史


蓮實重彦の『映画への不実なる誘い 国籍・演出・歴史』を、新聞広告で見つけ、早速、購入し読了した。前東大総長にまで昇りつめた映画批評家ムッシュ・ハスミによる21世紀最初の映画評論本。「映画狂人シリーズ」が河出書房から9冊刊行されているが、その内容は、いずれも20世紀に書かれたもの。なお映画狂人シリーズの10冊目は『映画狂人 最後に笑う』で9月に刊行予定とのこと。


蓮實氏の著書で、『反=日本語論』と『夏目漱石論』(福武文庫 1988)*1の2冊は、語り口や切り口で、きわめて刺激的であり、ポストモダンとしていまや批判の対象となっているにもかかわらず、面白さにおいて評価したい。


反=日本語論 (ちくま文庫)

反=日本語論 (ちくま文庫)


しかし、映画関係本にこそ、蓮實氏の本質的な資質が表出されていると思う。『映画への不実なる誘い』は、「せんだいメディアトーク」の講演がもとになっている。20世紀とは、「戦争の世紀」であったけれど、こと文化的な点からみれば、まさしく「映画の世紀」であったことは確かだ。19世紀末に発明された複製可能な映画は、20世紀において、その頂点を極めた。


蓮實氏は、20世紀が映画の世紀であったことを前提として「国籍」「演出」「歴史」の位相から、映画を読み解いている。講演口調であるから読みやすく、判りやすい。「映画における国籍」では、翻案とリメイクの手法で、モーパッサンの『脂肪の塊』が、溝口健二の『マリヤのお雪』でを頂点に、ソ連版、アメリカ版、フランス版と紹介し、映画とは国籍を超え、「模倣が差異を生産する」と結ばれる。


「映画における演出」では、ヒッチコックの『汚名』を参考資料として、サイレント時代から映画を作っていることが演出の成否にかかわり、ショットが静止と運動から構成されていることを説明して、「階段」の撮り方を引用しながら、ヒッチコックの演出の巧さが、実証される。


「映画における歴史」では、ゴダールの『映画史』について、断片をコラージュ風にきりとった『映画史』を、蓮實流に分析する。女性たちを招き寄せながら、ゴダール好みの映画が引用されるが、それらに意味付けをする。正直にいえば、『ゴダールの映画史』は、理解を拒否しているような撮り方をしていて、私にはさっぱり判らなかった。それが、蓮實氏の解釈で少しは、わかるような気にさせる。


蓮實重彦氏は、映画に関するかぎり、依然として最も刺激的な内容を提示している。総長を引退して、やっと本業の映画に帰ってきたことを慶びたい。なお、蓮實重彦氏等によるWEBサイト
あなたに映画を愛しているとは言わせない
で、最新の映画論を読むことができる。


ところで言うまでもないけれど、蓮實重彦の映画論の最高傑作は、『監督 小津安二郎』であることは、衆目の一致するところであろう。増補決定版が出て、小津安二郎の世界を読み解くカノンとなっている。もちろん、次は、『ジョン・フォード論』になるだろう。蓮實重彦ゴダール論は予測がつきすぎるから。


監督 小津安二郎

監督 小津安二郎