思いわずらうことなく愉しく生きよ


思いわずらうことなく愉しく生きよ

思いわずらうことなく愉しく生きよ



江國香織『思いわずらうことなく愉しく生きよ』読了。犬山家の離婚した父と母。子供たち三姉妹。結婚して家庭を持つ長女・麻子、やりがいのある仕事と同棲中の男がいる次女・治子、自由奔放に生きてきたが本物の恋愛を求める三女・育子。三人の姉妹のそれぞれの視点から、世間が見えてくる。物語の展開にはらはらしながらも、最後まで引き込まれてしまう内容と文体。


犬山家の家訓は「人はみないずれ死ぬのだから、そして、それがいつなのかはわからないのだから、思いわずらうことなく愉しく生きよ」(p7)というものであった。三姉妹は、家訓どおりには容易に生きられない。思いわずらい、必ずしも愉しくは生きられない。それでも、けなげに家訓を実行しようとしている。


家庭を持ち落ち着いているかに見えた長女・麻子は、夫からのDVに耐えている。家庭内暴力。最近、何かと話題になる、外には見えない夫婦関係の問題が突出してくる。麻子は、夫との関係のなかで、愛というかたちの在り方が歪んでいることに容易にきずくことができない。読者としては、心痛ましく、またじれったく思うところだ。


それにしても、江國香織さんの描く女性は、繊細で観察力があり、男のやさしさを捉えると同時に、身勝手さをも容赦なく書きつづる。女性から見て、例えば、次女・治子の同棲相手・熊木などは男の弱さと優しさを持った理想に近い人物ではあるが、二人の関係は唐突にくずれる。三女・育子は、数多くの男性と関係を持つが、男の本質的なところが理解できていないように描かれる。

育子に理解できる他人とのつながりは、友情と信頼、それに肉体関係だけなのだった。
(p184)


この三姉妹が、かつて家族として暮らした幸福な記憶が、作品の根底にある。まだ離婚していない父親と母親のもとで、家族五人が暮らしていた当時のことを、娘たちはそれぞれの思いで回想する。


家庭をもつことの困難さ、男女の関係を保つことの困難さが、江國香織さんの作品を貫くテーマのように思えてしまう。ファッションや料理など、細部のこだわりも、この人らしい。家庭内暴力という社会問題を、今回はとりあげているけれど、つねに、女性から見た男との関係のあり方が、江國さんの作品を支える根底的なテーマだと思う。


『思いわずらうことなく愉しく生きよ』は、短編の集まりであるような構成で、長編に仕上げている。書き手としての江國香織の成長過程にある作品であり、傑作にかぎりなく近い佳品である。小説としての強度が不足しているだけだ。



号泣する準備はできていた

号泣する準備はできていた