モナリザ・スマイル



マイク・ニューウェルモナリザ・スマイル』(mona lisa smile,2003)を観る。1953年から1954年。ニューイングランドにある女子名門校ウェズリー大学へ、美術史助教授として、ジュリア・ロバーツが赴任する。彼女は、自己の信念に基づき、女性が自ら考え行動することを教育目標に掲げ、いざ、教室へ乗り込む。ところが、最初の授業で、優秀な学生たちは、用意したスライドの絵画について、教師を差し置いて、コメントして行く。女教師の敗北からスタートする。この、伝統的名門校が、1950年代に抱えていた女性の生き方の根源的問題は、50年後の現在もほとんど、変わっていない。


優秀な女学生に、『スパイダーマン』のヒロイン=キルスティン・ダンストロースクールを目指すジュリア・スタイルズ、自由奔放に振舞うマギー・ギレンホール、コンプレックスの固まりのジニファー・グッドウィンたち。この学生たちが、最初は新任のジュリアに反発するが、次第に自分たちが抱える活き方の悩みは、エリートとの結婚では満たされないことに気づいてくる。


女性が、家庭とキャリアの両方を持ちいずれも成功させる生き方が、今日でも理想的だが、一方で『負け犬の遠吠え』に代表される考え方もあり、問題の本質は、変化していない。どんな生き方が最も幸福であるかは、最後は自分が決めることであり、<結婚がゴール>ではないことを、自明のこととして提示されている。


ジュリアはもはやハリウッドでは中堅女優。若手女優たちを相手に、先輩として教える立場というシチュエーション自体が、女優としての課題であり、それを、キルスティン・ダンストたちとのコラボレーションで見事に演じている。ロマンティック・コメディではなく、『エリン・ブロコヴィッチ』路線である。


ジュリア・ロバーツは、成長した。CGやアクション、SFものが、製作の中心になってしまったハリウッドの反面教師的な鏡が、この映画である。CGにのみ頼るのではなく、あくまで脚本や、俳優の演技で観せる作品こそ、映画の持つ本質的な課題であることを、『モナリザ・スマイル』が訴えていると読むことが肝心。