熊座の淡き星影


いまさらというべきか、やっとヴィスコンティの長編14本のなかで、唯一未見であった『熊座の淡き星影』(1965)を観ることができた。


『山猫』(1963)では、華やかな笑顔を振りまいていた蠱惑的な美女クラウディア・カルディナーレは、『熊座の淡き星影』では一転して陰鬱な表情を崩さない。また、それが官能的な肢体との絶妙のアンバランスぶりは、この作品の悲劇的なトーンを象徴している。


クラウディア・カルディナーレジャン・ソレル姉弟による愛の交換のための儀式が、地下貯水場のシークェンスで究極に到達する。姉の結婚指輪を、弟は自分の指にはめることから始まる儀式は、水面が鏡の役割を果たすかのように、姉が螺旋階段を上って行く様子をキャメラに収め、弟は姉の結婚指輪をかざすシーンすべてが水面に写された鏡像=虚像として描かれる。このシークェンスは、姉弟の近親相姦を暗示するとともに、永遠の別離を示すものでもある。


冒頭スイスのジュネーヴのパーティ場面から、キャメラが車の視点となり、パリからリヨンを経てイタリアのトスカーナ地方のヴォルテッラに移行する。国連に勤務するアメリカ人のアンドリュー(マイケル・クレーグ)が結婚した相手の故郷に向かう。相手の女性はサンドラ(クラウディア・カルディナーレ)で、彼女の実家はヴォルテッラの名家であった。


サンドラが故郷の実家に帰った理由は、アウシュビッツで殺された科学者の父の胸像の除幕式に参加するためであった。新婚夫妻が、旧家に到着したあたりから、豪邸内部の華麗な調度や美術品と、それらを包む異様な雰囲気に支配された空間であることが、徐々に明かされて行く。と同時ににサンドラの過去と、父の死にまつわる母と義父の疑惑がからみ、一見いわゆるミステリー仕立てのフィルムにみえる。


実家に到着したその夜、夫妻は、庭園にある父の胸像を見るために散歩すると、突然サンドラの弟(ジャン・ソレル)が現前する。抱擁する姉弟はあたかも恋人のように振舞う。弟役のジャン・ソレルは、その表情、とりわけ眼の感覚はアラン・ドロンに似ている。アラン・ドロンとほぼ同じ年齢であり、前作『山猫』のイメージを踏襲したのかも知れない。


姉弟の父親がユダヤ人としてナチスに密告されたのは、母(マリー・ベル)とその愛人(レンツォ・リッチ)の企みによるものではないかとの疑惑が、映画の通奏低音として根底にある。しかし、一方では姉弟の近親相姦を非難する義父と母の視点があり、この平行線をたどる二つの世界は交錯することなく、決裂する。つまり、姉弟か義父と母のどちからが嘘をついていることになる。しかし、どちらが嘘をついているかは、最後まで明らかにされない。


父の胸像の除幕式に、白いスカーフを巻いて出席するクラウディア・カルディナーレと、旧家で薬を飲み上半身裸で倒れている弟のカットバックが続く。式典には、当然のように義父と母が出席している。弟ジャン・ソレルの上半身裸の肉体の官能的な映像と、屋外の自然光のもとで開催される式典の対比。昼と夜、生と死、光と影の対照性を強調するラストシークェンスに唐突にエンドマークが刻印され、その先の展開は観るものに委ねられる。


熊座の淡き星影』は、キリシア神話アガメムノンを下敷きにしている。母の父への裏切りを姉弟が、父に替って果たす。アガメムノンを映画の前面に押し出したのはアンゲロプロスの『旅芸人の記録』(1975)だが、もちろん、ヴィスコンティの作品から10年あとに撮られている。


ヴィスコンティの後期の作品群を示唆する『熊座の淡き星影』には、没落する貴族、崩壊する家族、倒錯した愛など、その後のフィルムのすべてが内包されていると言っていいだろう。


敢えてモノクロームで撮影された映像は、あくまで美しく、光と影という映画の基本的な構造を熟知したヴィスコンティならではの貴重なフルムであることは、いうまでもあるまい。


坂東玉三郎さんのコメント

熊座の淡き星影』は、本当に小さな小さな時間と空間の中で、特別な時を過ごさせてくれるまるで宝石箱を覗いたときのような気持にさせてくれる映画です。



補記(2005年3月27日)

熊座の淡き星影』がギリシア神話を下敷きにしていることで想いだした。イタリア映画界の大物を失念するところであった。ギリシア神話の映画化といえば、ピエロ・パオロ・パゾリーニである。『アポロンの地獄』(1967)と『王女メディア』(1970)があった。貧困階級出身のパゾリーニは、自他ともに認める無神論者・マルキストであった。貴族出身でマルキストであったヴィスコンティとは、対蹠的である。『ロゴパグ』を除いた長編が13本。ルキノ・ヴィスコンティと比較しながら論じるには最適の監督である。いずれ二人のフィルモグラフィをたどりながら、その映像について触れてみたいと思う。もちろん、パゾリーニのマイ・ベスト1は、『テオレマ』(1968)。


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