Ray「レイ」


このところハリウッド映画は、伝記ブームのようだ。
そのうち音楽家の伝記映画2本を観た。まずは、レイ・チャールズの伝記映画『Ray』(The Extraordinary life story of Ray Charles,2004)は、レイを演じているジェイミー・フォックスのなりきり演技で,彼の生涯とはこんなに激しかったのかと思わせるフィルムだ。レイの弟の死によるトラウマや失明などをフラッシュバックの手法で挿入しながら、
レイが安定した生活を築くまでを作曲の契機となったエピソードを絡めて描いている。


黒人であるがゆえの差別、盲目であるがゆえの差別、自立して生きることを選択したレイには、ピアノ演奏と音楽に関する天賦の才能があった。自分の能力に気づくこと、しかもそれをいわば商品として通用させる力量と、そのための努力は、他人事ではない。自分で、自分の道を切り開いて行くことの困難さは、人として共通のものだ。レイだけが例外的に才能を商品化できた理由が、特に女性関係を通じて新しい音楽を創造して行く過程が、事実かどうかはともかく、物語的なエピソードとして、『Ray』にはきっちり描き込まれている。


最初に結婚したデラ=ビーとの生活を一番大切な、帰ることのできる家庭として、生涯守り通したことが、愛人関係からの脱皮を図ることができた理由でもある。盲目の歌手は、常に一人で暗黒の世界に住むことに不安を感じる。それをヘロインと女性によって払拭していたのが、前半生ということになるだろう。


『Ray』が何よりも素晴らしい作品になっているとすれば、当然その音楽シーンにある。レイ・チャールズのソウル魂が、女性との関係や、即興的なひらめき、あるいは、ジャンルを逸脱する手法で、その時々の困難を超えて行く。音楽の持つ一種開放的な雰囲気や、バンドのメンバーに支えられたことにもよるだろう。


もはや、スタンダード・ナンバーとなってしまったレイ・チャールズの数々の名曲は、生まれるべくして作られたことを、映画ならではの裏面史を活写することによって成功させている。音楽のリズムや軽快なテンポに乗せられながら、素敵なミュージカルを鑑賞している気分にさせてくれる。やはり、『Ray』は傑作なのだろう。


映像的な処理として、現在進行形をやや色あせた色調で捉え、過去は鮮明なカラーで、描き分ける手腕は、テイラー・ハックフォード監督の手腕によると思われる。数々の演奏会や、録音風景にはまってしまう観客を想定した粋な演出である。