福島の原発事故をめぐって

3・11以後、自分の生き方について考えるところがあり、自省を重ねてきた。


津波と原発

津波と原発


原発と震災関係の雑誌特集や、書物が数多く出版されている。すべてに目を通すことはできないが、何点か気になった。


「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか


山本義隆著『福島の原発事故をめぐって〜いくつか学び考えたこと』(みすず書房、2011)が最も的確な内容であり、原発関係では、一番の収穫に値するものであった。


福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと

福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと

事故のもたらす被害があまりにも大きいだけではない。いずれウラン資源も枯渇するであろう。しかしその間には、地球の大気と海洋そして大地を放射性物質で汚染し、何世代ものちの日本人に、いや人類に、何万年も毒性を失わない大量の廃棄物、そして人の近づくことのできないいくつもの廃炉跡、さらには半径何キロ圏にもわたって人間の生活を阻むことになる事故の跡地、などを残す権利はわれわれにはない。そのようなものを後世に押し付けるということは、端的に子孫にたいする犯罪である。(92−93頁)

日本人は、ヒロシマナガサキで被曝しただけではない。今後日本は、フクシマの事故をもってアメリカとフランスについで太平洋を放射性物質で汚染した三番目の国として、世界から語られることになるであろう。この国はまた、大気圏で原爆実験をやったアメリカやかつてのソ連とならんで、大気中に放射性物質を大量に放出した国の仲間入りもしてしまったのである。こうなった以上は、世界中がフクシマの教訓を共有するべく、事故の経過と責任を包み隠さず明らかにし、そのうえで、率先して脱原発社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきであろう。(93−94頁)


山本義隆氏の言説は、内容の斬新さは勿論、というより、そこから引き出される、あるべき日本の姿勢を正す提起がなされている故、貴重な論考になっている。

現在生じている事態は、単なる技術的な欠陥や組織的な不備に起因し、それゆえそのレベルの手直しで解決可能な瑕疵によるものと見るべきではない。・・・(中略)・・・むしろ本質的な問題は政権党(自民党)の有力政治家とエリート官僚のイニシアティブにより、札束の力で地元の反対を押しつぶし地域社会の共同性を破壊してまで、遮二無二原発建設を推進してきたことにある。(4頁)

 

まさしく、この点の無反省と無責任な戦後体制総体の責任を明確にし、体制そのものの組み換えこそが求められているのである。現在の政権党(民主党)が、これら諸問題を改革する力があるとは思えない。とすれば、脱原発を基盤とするあらたな組織の立ち上げが求められる。