ブックビジネス2.0

岡本真・中俣暁生編著『ブックビジネス2.0 ウッブ時代の新しい本の生態系』(実業之日本社、2010)は、2010年を電子書籍元年として、在るべき本の生態系を示すことを志向している。7編の論考のうち、最も関心を引くのは、国立国会図書館長・長尾真の「ディジタル時代の本・読者・図書館」と、ARG主宰者・岡本真「未来の図書館のためのグランドデザイン」の二編である。


ブックビジネス2.0 - ウェブ時代の新しい本の生態系

ブックビジネス2.0 - ウェブ時代の新しい本の生態系


一言にしていえば、書物のデジタル化により図書館やライブラリアンの在り方が大きく変容するということだ。まずは、長尾氏の言葉から。

電子図書館においては書物を任意の単位に解体し、必要なところだけを取り出すことが可能になる。そうすれば、自分の考えを新しい論文にまとめようするとき、いくつかの本から必要なところだけを切り出して自分の文章の中に入れながら編集することによって論文を作るといったことができるわけである。研究や著作のほとんどは過去の人たちの成果の上に立って行われている。・・・(中略)・・・電子図書館の知識や情報の取り出しの単位が、本ではなく本の中の任意に部分ということになると、情報検索というよりは事実検索、知識検索に近づいてゆく。(p121-122)


国立国会図書館が出版社と提携して「ジャパニーズ・ブックダム計画」によって、電子資料の国内の図書館への提供と同時に商用利用への道を拓き、知識のインフラを構築するわけだ。


電子図書館 新装版

電子図書館 新装版


岡本真氏は、前掲論文のなかで、いわゆる「長尾スキーム」を前提として、図書館に迫っている要因二つは、「大規模なデジタル化」と「大規模なウェブ化」であるという。

その上で、図書館をコンピュータの仕組みに喩え、機能分化させるために三つに分ける。
1.オペレーティングシステム(OS)としての図書館(国立国会図書館
 その役割は、「情報・知識に関するあらゆるデータの共通基盤をつくること」と「国立国会図書館が一元的に担えば、図書館業界全体で作業コストを大きく縮減できるデータの整備にあたる」ことである、という。

2.ミドルウェアとしての図書館(旧帝大・有力な国公私立大学図書館都道府県立図書館など)
 大規模デジタル化によって、紙媒体として保存しておく必然性は薄れる本の保存、図書館間での貸出を介した市民への本の提供、専門的な調査・研究を行う人々の支援の三つの役割を果たす。

3.アプリケーションとしての図書館(市町村立図書館、学校図書館、大部分の大学図書館
 最も重要な役割は、社会で最も手近かなところにある情報・知識への窓口となること、もうひとつの役割は、地域の実情にあわせた情報・知識の保存であり、市民が「知りたい」というニーズが寄せられる場に転化する。



とすれば、図書館員・司書は、知の総合プロデュ−サーとしての「ライブラリアン」になるべく、必然的に三つのタイプに分かれる。

1.「オペレーティングシステムとしての図書館」では、「社会のインフラとなる大規模な基盤データの仕組みを企画・設計し、実際に運用するための知見が求められる。

2.「ミドルウェアとしての図書」では、本の収集・保存に関する知見に加え、より迅速かつ効率的に、それらの本を「アプリケーションとしての図書館」に提供していくロジスティックスの能力が求められる。

3.「アプリケーションとしての図書館」では、公共図書館員はその地域に関する深い見識が、大学図書館員はその大学が抱える専門分野に関する広い見識が求められる。

以上のグランドデザインに基づき、新たな知のエコシステムとして、
1)コンテンツの「ショーケース」としての図書館
2)人々の「マッチングプレイス」としての図書館
3)「ライセンスコントローラー」としての図書館

の三例を挙げている。さて、ライブラリアンと呼ばれる者は、これらの提案をどう受け止めるだろうか。極論すれば、現状の各種図書館を差別化(差異化)することによる大連合としての図書館構想とでもいえようか。

ところで、国会図書館における「長尾スキーム」とは、1960年代までに刊行された図書資料の内、国会図書館が所蔵しているものを全てデジタル化するというものである。


既刊本のデジタル化とは、出版された本の形式そのままをデジタル化することであり、新たな活字に翻刻するわけではない。とすれば「近代デジタルライブラリ」のように明治期・大正期刊行物は、オリジナルな姿で電子化されているということである。書物というものには歴史があり、複製版に加えて翻刻版でも電子化しなければ、利用者の読解力によって利便さに差異が出る。このことを前提にしなければ、デジタル化による恩寵がすべての市民に届かない。


長尾氏のいう本の構造化による細分化は「モノ」としての本の構造そのものを理解してないと、「事実検索」や「知識検索」ができないかも知れない。専門的研究者にとっては、国会図書館のデジタル化の方向は、現在英語圏で進行しつつある引用索引からオリジナルテクストへリンクされ、机上ですべてのテクストを読むことを可能とするものだが、日本語資料に関しては、記事索引問題がある。国会図書館作成になる「雑誌記事索引*1は、研究者にとって非常に有用なのものであることは周知のとおりだが、問題は本ではない遂次刊行物(雑誌)の電子化が進捗しない限り、換言すれば、論文や記事単位にデジタル化されないと、研究のスピード化に直結しない。


岡本氏がいう、ライブラリアンが知の総合プロデューサーとなるということは、より専門化された知識・情報の活用支援の主体を担うことにほかならない。岡本氏は次のように述べている。

これまでの図書館は、基本的には図書館以外の場で生み出された情報・知識の流通と保管という役割を担ってきました。図書館自体が既存の情報・知識を活用して新たな情報・知識生み出し、「生産=消費=再生産」という知のエコシステムに参画しているとは言い難かったわけです。しかし、図書館が情報・知識の活用支援の「場」となり、知の再生産の循環サイクルに取り込まれていくことで、図書館という仕組みそのものが、持続可能性をもつようになります。(p86-87)


港千尋がいう「わたしたちが生きる時代そのものが図書館化しつつある」*2と認識すれば、誰もが図書館化する世界にいることになり、「ライブラリアンの専門性」とは何かが問われている。

*1:ちなみに『雑誌記事索引』は、2頁以下の論文・記事は採用されていない。

*2:港千尋『書物の変』せりか書房、2010