パンドラの箱


G.W.パプスト『パンドラの箱』(Die buechse der Pandora, 1929)をDVDにて観る。ファム・ファタールとして著名な「ルル」こと、ルイーズ・ブルックスの代表作である。


パンドラの箱 クリティカル・エディション [DVD]

パンドラの箱 クリティカル・エディション [DVD]


かつて大岡昇平『ルイズ・ブルックスと「ルル」』(中央公論社1984)以来、映画『パンドラの箱』と、主演女優ルイーズ・ブルックスへの関心が持続していたが、フィルムを観る機会がなかった。


ルイズ・ブルックスと「ルル」

ルイズ・ブルックスと「ルル」


サイレント映画の面白さに遅まきながら目覚めたせいか、フィルムの修復・復元が進みクリアな映像で、フィルムをみることができるようになった環境のせいか、ムルナウの次にパプストの「ルル」が候補として挙がったわけだ。


ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』でも、『パンドラの箱』のラスト近くのシーンが第6章「感情イメージ」で、取り上げられていたことにもよる。


パンドラの箱』は、Akt1からAkt7まで七つのシークェンスに分かれていて、それぞれ「ルルのアパート」「シェーン博士の家」「レヴュー劇場」「シェーン邸での結婚式」「法廷」「賭博船」「夜のロンドン」から成っている。ルルは、男性の庇護を受けながら自ら成長して行くタイプであり、男に奉仕させることで自立する女性。レビュー劇場では、舞台で華やかにスポットライトを浴びているルルは、気に入らないことには、驕慢な態度で周囲を困惑させる。シェーン博士が女性を伴って舞台裏にきたときに博士に見せる嬌態は実に官能的なまでに性的な振る舞いになる。


ルルは、シェーン博士(フリッツ・コルトナー)の愛人だが、博士が貴族の娘との結婚話が持ち上がると、猛烈に反発し、ついに強引に結婚にこぎつけるが、式直後にルルは誤って夫を射殺してしまう。続く裁判シーンで実刑を受け、シェーン博士の息子アルヴァ(フランツ・レーデラー)と逃亡することになり、落ちぶれてロンドンに辿り着く。


ドゥルーズが『シネマ1*運動イメージ』でとりあげているのは、「夜のロンドン」のクライマックスシーンである。

比較的短いシークエンスのなかで、ひとはどの程度まで一方の極から他方の極へ向かうのかを、パプストの『パンドラの箱』が示している。まず、切り裂きジャックとルルの二つの顔が、和らいで、微笑を浮かべ、夢を見ているかのように、驚いて不思議そうにしている。つぎに、ジャックの顔が、ルルの肩越しにナイフを見て、恐怖の上昇的セリーに入ってゆく(「恐怖は絶頂の状態になり・・・・、彼の瞳孔はますます広がり・・・・、男は恐怖にあえぐ・・・」)。最後に、ジャックの顔は和らぐ。そしてジャックは、みずからの運命を受け入れ、いまや、彼のもつ殺人者の相貌、犠牲者を自由に処分できるということ、道具の抗いがたい誘惑という三つのものごとに共通する質として、死を反映=反省する(「ナイフの刃が鈍く光る・・・・」)。(p.161−162『シネマ1*運動イメージ』)


シネマ 1*運動イメージ(叢書・ウニベルシタス 855)

シネマ 1*運動イメージ(叢書・ウニベルシタス 855)


ドゥルーズは、一つのシークエンスの中で、幸福の頂点から破滅の奈落まで移行できる例としてパプスト『パンドラの箱』を引用しているのだ。「ルル」のルイーズ・ブルックスは後に、自伝のなかで、パプストの演出に触れながら次のように記述している。

パプストは天の邪鬼の抜け目なさ「パンドラの箱」ではグスタフ・ディ−セルに切り裂きジャックの役を、「倫落の女の日記」ではフリッツ・ラスプに好色な薬剤師の助手の役を振り当てました。わたしが2本の映画のなかで美しいとも、性的に魅力があるとも思った俳優は、この二人でした。切り裂きジャックの場面では、パプストの演出はいたって簡単なものでした。それは、まず優しい愛の時の流れとして演出され、やがて食卓のへりに置かれたナイフが蝋燭の炎で照り輝くのをディ−セルが目にするという、恐ろしい瞬間へと続くことになっていました。(p.103「パプストとルル」『ルイズ・ブルックスと「ルル」』)


ルイーズ・ブルックス映画女優としての期間は、きわめて短い。ハワード・ホークス『港々に女あり』(1928)、G.W.パプスト『パンドラの箱』(1929)『倫落の女の日記』(1929)の三本を代表作として、10年間くらいだった。自ら田舎に引退し、後に復活した時は自伝『ハリウッドのルル』の作家としてであった。


それにしても、大岡昇平埴谷雄高がなぜこれほど「ルル」=ルイーズ・ブルックスに夢中になったのか、大岡昇平は一冊の本まで出してしまった。時代の性的アイコンとなったのが、「ルル」なのであろう。では現代のアイコンとは誰だろう。一瞬戸惑いを覚えながらも、時代を共有する普遍的なアイコンが存在しない、すなわち、女優やモデルの誰もがなり得る、しかも個人的な好みによるとしか答えようがない。