ゴッホについて/正宗白鳥の精神


小林秀雄講演CD第七巻『ゴッホについて/正宗白鳥の精神』を聴く。小林秀雄講演CDについては、拙ブログ2005-10-11と2005-10-16、二度にわたり言及した。



ゴッホについて」は、画家が弟に宛てた手紙にすべての「告白」が綴られており、ゴッホは、絵画と書簡を併せて読むことで、理解できることを語る。ゴッホの書簡を「告白文学の傑作」であると規定したのは、もちろん『ゴッホの手紙』*1のなかにおいてである。告白を、小説の形ではなく弟宛の手紙だったことで、より本質的な内面が吐露されている。文字どおりゴッホの告白以外ではありえないない。金銭的援助を仰いでいる弟に対して、ゴッポは己の内面をさらけ出し書き続けた。


小林秀雄全作品〈20〉ゴッホの手紙

小林秀雄全作品〈20〉ゴッホの手紙


小林秀雄は、ゴッホについては絵画のみで判断するのではなく、「絵画と書簡」を統合して、芸術家として評価すると言っているのは、世間の告白文学=私小説があまりにも低級に思えていたからだ。


正宗白鳥の精神」は、小林秀雄にとつて正宗白鳥は、現代作家で唯一最後まで「読む」ことに魅せられた存在であり、己を飾らず、文に細工をしないこと、素直に感情・感覚の赴くまま記述したのが日本の近代文学では正宗白鳥だけであったと繰り返し述べる。小林秀雄は、もはや何かの材料としてではなく、純粋に読むことを楽しむことができるのは、正宗白鳥のみと極言している。


小林秀雄全集〈別巻1〉感想

小林秀雄全集〈別巻1〉感想


正宗白鳥の精神」は、『小林秀雄全集』別巻2に「感想」とともに「未完の原稿」として、講演から起こした原稿「正宗白鳥の作について」にその一部が文章化されている。講演はこの原稿の一部を話した形になっている。


小林秀雄が「正宗白鳥の精神」の講演をした時は、既に大著『本居宣長』が完成しており、批評分野における著作をほぼ書き終え、「書くための読書」ではなく「読書のための読書」に集中できるようになったと講演のなかで語っている。


小林秀雄にとって、いつでも「人生如何に生くべきか」が問題であった。講演CDは、小林秀雄の生の声を聴衆として聴くことができる貴重な作品だ。彫琢を重ねレトリックを駆使した文章とは、一味もふた味も違う小林秀雄に出会うことができる。



小林秀雄講演CDは、出会って以来音楽のように聴いており「小林さんの講演の音声に、生きるということの本質の一端を学んだ」と茂木健一郎も推薦している。

*1:小林秀雄全集』第10巻、p.258〜