遭難


本谷有希子の戯曲『遭難』(講談社、2007.5)読了。本作は、2006年10月に青山円形劇場で公演され、第10回鶴屋南北賞受賞作。登場人物は5名。舞台は高校の職員室。自殺未遂を起こし意識不明の仁科京介の母親が、職員室に詰めかけ、担任の江國にいきなり「あんた、ウンコしなさいよ、そこで。」というとんでもない台詞から始まる。同じ学年を受け持つ同僚の里見、石原、それに学年主任の不破(男性教師)の5人のみで、最後まで、個々の内面を封じたまま、「ことば」の応酬が繰り返されるが、そこから、誰も他者を理解しない、しようとしていない、あるいは他者を理解できない人物たちのドラマといえばいいのだろうか。


遭難、

遭難、


冒頭では、被害者の母・仁科が、担任の江國をひたすら攻めまくり、主任の不破は「まあまあ」ととりなし、里見は、落ち着いた口ぶりだが、作者が「あとがき」で触れていいるように「性格の悪い女」として、次第に本性を現して行く。


『遭難』では、里見の偽善性と「トラウマ」の欺瞞性を鋭く描きあげている。「トラウマ」を持つことで、許されることとは、「トラウマ」という言葉が、心の中を隠蔽してしまうことを暴露している。本谷有希子の脚本には、「ことば」の応酬でつくりだされる濃密な空間から演劇的な勢いが増幅されていく。自殺未遂、ストーカー、盗撮など、生々しい話題が次々と繰り出され、最後まであきさせない。脚本を読むだけで、一種興奮状態になるほどだから、実際の舞台を観てみたいと思わせる。凄い作品だった。


腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ



演劇界の直木賞と呼称される鶴屋南北賞受賞作『遭難』の著者、本谷有希子さんについては、本作で始めて接したが、小説も書いているようだ。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(講談社、2005)が三島由紀夫賞候補、『生きてるだけで、愛』が芥川賞候補。うーん、才媛というべきか。恐るべしというべきか。機会があれば、これらの小説も読んでみたいと思わせる。がしかし、どこか醒めている、あるいは人生を斜めから眺めているのか、いや人生を超越しているのか。ともあれ、常人を逸脱しているその過激さが怖い!。


生きてるだけで、愛

生きてるだけで、愛