蒼き狼


構想27年、制作費30億円、四ヶ月のモンゴルロケ。モンゴル建国800年記念映画というコピーで、観る気がしなくなるのだが、『蒼き狼 地果て海尽きるまで』は澤井信一郎監督という一点のみで観ることにしたのだった。



チンギス・ハーンの生涯といっても、モンゴル建国までの半生を描いた映画で、その視点は、テムジン=チンギス・ハーン反町隆史)の母ホエルン(若村麻由美)の眼から観た息子の成長の物語になっている。部族間の争いの戦果に女性を強奪する因縁が、息子の妻となったポルテ(菊川怜)の子供ジュチ(松山ケンイチ)とテムジンの親子の葛藤に反復される悲劇を主題としたもので、せりふや物語の進め方は、マキノ雅弘の流れを踏んだ澤井信一郎の作品に仕上がっていた。


野菊の墓 [DVD]

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それにしても、助監督が長い澤井監督は、『野菊の墓』(1981)以降、『Wの悲劇』(1984)、『福沢諭吉』(1991)や『わが愛の譜 滝廉太郎物語』(1993)『日本一短い「母」への手紙』(1995)など、企画があり監督として起用されるという撮影所システムと似ていることが、澤井氏の経歴の反映を証明しているようで、まさしく職人監督の名人芸を見せられることになるのは、何とも皮肉な結果だ。


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鈴木一誌澤井信一郎に聞書きした『映画の呼吸』(ワイズ出版、2006)の、東映助監督時代が面白く、マキノ雅弘石井輝男鈴木則文伊藤俊也など錚々たる監督のもとで、映画経験を積んでいることが分かる。シナリオの大切さをマキノ雅弘から教わった澤井監督は、石井輝男の『ならず者』(1964)やマキノ雅弘の名作、シリーズの最高傑作『昭和残侠伝 死んで貰います』(1970)などに助監督として、トータル58本の映画を撮影現場で経験している大ベテランなのだ。脚本がしっかりしていれば、監督は流れで撮ることができる、という信念を澤井氏は持っている。だから様々な企画ものを与えられても、映画作品として一定レベルの質を保持してきた。


映画の呼吸―澤井信一郎の監督作法

映画の呼吸―澤井信一郎の監督作法


それはもちろん、大作の『蒼き狼』にも反映されている。脚本が中島丈博丸山昇一、撮影が前田米造なのだから、脇を固めるキャストにテムジンの弟ハサルに袴田吉彦、族長に松方弘樹、ポルテの父に榎木孝明たちを配し、何よりドラマとして見応えあるものに仕上げている。ドラマとして成立していない映画が多いなかでは、貴重な一本といわねばなるまい。


なぜ、テムジンは多くの部族と戦い、建国の王に昇りつめながら更に、金(中国)と戦い国を拡大して行くのか。映画『蒼き狼』では、母が略奪された女性だったことや、自分の妻が他の部族に略奪され、奪い返した時には、みごもっていたこと。それが父への反発と息子への疑惑という、親子の憎悪がエネルギーになってしまった男の悲劇としてドラマを成立させていることから読み取るべきだろうが、歴史事実的にはよく分からないことだ。モンゴル建国の父チンギス・ハーン一代記が、このようなドラマ構成として許容されたこと自体が、不思議といえば不思議だ。何ら英雄物語として機能していない。建国の大事業をなしとげたテムジン=チンギス・ハーンは苦悩に満ちた表情で式典に臨んでいたではないか。


テムジンが、少年時に<按達の誓い>を交わしたジャムカ(平山祐介)との回避できない戦い、モンゴルの統一と建国を誓ったかつての盟友ジャムカを死に至らしめる過程の苦悩。自分の子でないと疑う息子ジュチに過酷な北方の戦場行きを命じ、金国相手の戦いに呼び戻そうとすると、病で帰れないとの知らせに、裏切と判断し息子に会うことにした父の前には、死を目前にしたわが子がいたのだった。このようなドラマ構成とは、まさしく悲劇そのものではないか。


美しいモンゴルの光景のかなで繰り広げられる壮大な建国のドラマだが、戦場シーンには、例えば『墨攻』のような迫力がない。むしろ、戦闘さえ風景と化している。*1予告編には、製作の角川春樹や、主演の反町隆史など主な出演者がでるけれど、監督澤井信一郎の名前が出てこない。いってみれば、助監督時代からの姿勢がこの大作にも現れている。澤井信一郎の存在はみえない影のようなものだ。しかしながら、映画の空気を支配しているのは、まぎれもなくマキノ雅弘流を貫く澤井信一郎その人にほかならない。映画とはどう撮るべきはを学ぶにはうってつけのフィルムになっている。


Wの悲劇 [DVD]

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時雨の記 [DVD]

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*1:これは本作への「賛辞」であって、凡庸な監督なら戦闘シーンを克明に撮影していたかもしれない。『墨攻』を例に出したが、誤解を与えないために、『墨攻』は優れた作品であることを申し添えておきたい。